ジュズツナギ

第 20 回

「エキゾ・ニュー・キョートー」

行川信哉
(セカンドハンズ)

 なんだかんだ言いまして、京都在住約10年になるわけなんですけども、そもそもあ たくしが京都に来ましたのは他愛もないキッカケと言いますか、「青春の二者選択」 の一つとして「コッチ」になっただけの話なのでございます。

 あれは忘れもしない大 阪は京橋周辺に実家住まいしていた18、19歳、当時大学1回生か2回生、、、 やったような気もするのですが、たぶんバイトかなんかである程度の小金を手に入れ てしまったもんで、この金を握りしめて「ハタチになる前になんぞその時にしかでけ んようなことをせなあかん」、という小心者にしては少し大きな気持ちになったわけ です。そしてその時の刹那的な気分で発生してきた項目が、「ハーレーに乗ってイー ジーライダーになる」というのと「京都で下宿する」というのでしたんです。後者が 非常に矮小にな響きに聞こえるのですが、当時ロケンローラーを至上としていたあた くしにとりましては村八分のいる(当時まだチャーボー存命中、結局京都に来てから お通夜に行くことに、、、)京都に住むことと、イージーライダー化することは同等 に「ロケンロー」なことだったのです。

 ちょうどその時分、ハーレーに乗っている知 人がおりまして、あたくしがその旨を話しますと、いとも簡単に「じゃあ売ってあげ るよう」ということになりまして、さっそく皮ジャンまで購入して下準備までしてい たのですが、その知人、というのに少し問題がありまして、簡単に言うと「心の問 題」を抱えてはったわけなんです。その知人はある日「ボクね、道端でハーレー捨て ちゃった」という状態になってしまったようで、バイクは廃車、免許取得代金とハー レー購入金は京都への引越し代金へ、皮ジャンはロケンロー制服へ、という次第にな りました、というわけです。

 そんな安易かつ壮大なちょっとしたキッカケで京都に出てきたもんで、京都に対す る思い入れ、なんてものも約10年分あるにはあるのですが、10年経った今でも「あの 時一歩間違えてイージーライダーになっていたら、、、」という妄想は、現在自転車 にしか乗れないあたくしにとっては強烈なエキゾチズムを喚起させるのです。マー ティン・デニーにとっての「クワイエット・ヴィレッジ」、細野晴臣にとっての「泰 安洋行」みたいなもんやと思ってるんですが、今、京都にいるからこそあたくしの貧 租な想像力に拍車がかかる、と言いますか、想いを馳せる灯台として、京都は別に暗 くても良くって、サーチライトの照明先が明るければそれはそれで脳内麻薬的には具 合がイイんぢゃないか、と。といったような理屈、屁理屈をひっくりかえしてくれて しまったのが、クレイジーケンバンド(CKB)との邂逅でせう。

 ちょうど前世紀末のことだったのですが、最初に接近したのが、クレイジーケンこ と横山剣さんがお皿を回さないで自ら持ち歌一緒に唄ってしまうスタイルのDJを大阪 の某イベントでやっていらした時で、たまたま訪れたあたくしはその時がCKBの初 耳。成り行き任せに朝から横山さんと西成の朝市へお供、早朝6時からホルモンを がっつくそのお姿は、高校時代から西成、新世界へ足繁く通っていたあたくしにとっ ては、非常に身近に感じられました。というのがその時の率直な印象でしたが、お家 に帰って初めてその音盤を拝聴させていただいてビックリ、DNAレベルであたくしの エキゾチズムを直撃する激烈ミューヂックなんですわこれが。

 これはあたくしの生い 立ち以前の話からはじめないと話が始まらないのですが、全部ひっくるめてCKBの唄 世界と、京都でゴロゴロしていて忘れてしまっていたようなあたくし自身の生い立ち とがバッチリコなわけなのです。父は横浜生まれの横浜育ち、就いた仕事が世界をま たにかける商船のエンジニアで、60年代末には豪華客船に乗って太平洋を行ったり 来たり、そして母が同じ船に乗っていた客船版スチュワーデスみたいな仕事で、職場 恋愛結婚ちゅうやつですわ。そんで結婚を期に父は仕事を代えて、香港で勤務、そこ で一人っ子のあたくしがブルース・リーと交代に1973年に生れ落ちたというわけで、 子供も大きくなってきたし日本に帰ってきて、とりあえず父の親元の横浜、そして独 立して横須賀(基地のフェンスのすぐ横のマンション)、ほんでなんやかんやあっ て、母の実家の大阪京橋近くの下町(韓国人街と隣接)、というのがあたくしの成長 環境でして、CKBの唄世界そのまんま。

 あたくし自身は香港、横浜、横須賀の記憶は ほとんどないんですが、CKBを聴くと脳みその奥の方がモゾモゾするというか、はる か離れた世界なんやけども、わけのわからんところで大いに共感してしまう、という 「エキゾ現象」を超えたDNA直結型錬金術が働いていしまうのです。そしてさらに 2000年発表の「ハンサムなプレイボーイ」の歌詞内容が、とうに記憶の彼方に消え 去っていたあたくしが幼少時の父の弟(横浜在住)に極似。切っても切れないCKBな んだなこれが、といことで前回、白澤くんの文章に登場した「友人の父」とはあたく しの「父」でした(現在復活同棲中)というわけでした。


ジュズツナギ
つぎの方は…
白澤弘紀
FREE HAND
行川信哉
セカンドハンズ
長谷川一志
ラヴラヴスパーク

 さて次回第21回のお楽しみは京都のキム・フォーリーこと(あたくしだけですがこう呼んでいるの)長谷川一志さん。只今人気沸騰中のラヴラヴスパークという3ピースバンドの「唄と語り」を担当。あとの二人はギター担当のギターさんと、酒担当の酒さん(そのつどビールだったり、ウイスキーだったり)というのが現在の編成みたいですが、かつてはあたくしも参加したこともございます。彼とも約10年、切っても切れぬ因縁、泥沼の付き合いでございますが、最近ようやく「カズシと飲みたいな、、、」と思える夜があったりもして、、、


行川信哉
なんだかんだで在京10年、「ろくでなし」から「うさぎ」まで目隠しで歩けるようになってしまいました。さらに今年の10月には二世が誕生する予定でございまして、ますます京都に密着してしまう今日この頃です。四条裏寺にて音盤、映像、書籍にガラクタ何でもござれな昭和ゲバゲバ・秘宝館的セレクトショップ「セカンドハンズ」をやっておりますので、ぜひ一度足を御運びください。

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