ジュズツナギ

第 51 回

「 京都的、あまりに京都的な 」

ゆーきゃん
(シンガーソングライター)

寺山修二が、書を捨てよ街へ出ようと言った、
最近はそのことをよく思い返している。


僕は面白い遊び方も知らないギャンブルもできない女も買えない退屈な人間なので、彼の言わんとしたところをそのまま理解することは出来ない。
でも、
烏丸通、高過ぎもしないオフィスビルの上に広がる空を見る、
御池通、広い歩道を家路につく人たちに混じって夕日に向かって歩く、
御所のベンチ、いつの間にか集まってくる野良猫の隣に腰掛けてパンを食べる、

そんなふうに僕らは街のあちこちでいろいろなものを見たり聴いたり触れたりするわけで、 そしてそれはやっぱり、どうしようもない物語や詩やあるいは映画なんかよりもはるかに、 どうしようもなく物語であり詩であり映画なのだと思う。

さて、京都だ。

書を捨て街に出るに値するものたちが、京都には他の街よりも余計に落ちているのか、どうか―
簡単には判断しかねるけれど、たしかに、この街には歩いているだけで泣きそうになるスポットがたくさんある。 それらの場所はある種のエモーションを持っていて、またそこで起きた出来事はささやかな日常のようで居てどこか詩的(=歌うに値する、という意味)で、 そして京都に生きるミュージシャンには自然と影響やインスピレーションを受けているのではないだろうか。 (ローザルクセンブルグの「橋の下」をその例に持ち出すのは野暮かもしれないが・・・)


「京都のバンドは歌詞がいいのが多いんだよね」
これは、いまは東京に住んでいる、ある京都出身のミュージシャンがよく言う台詞。 僕も賛成する。 そしてその理由のひとつには、京都という街の抱える風景があると思っている。 だってこんなにも感受性を刺激する要素がまき散らされた街に住んでいるんだもの、 退屈な本の陳腐な言葉を真似なくても、ありがちなJ-POPの教科書通りの歌詞など書かなくても、 歌にするべき素材には事欠かないはずだ。

もしこれを読んでいるあなたが、京都のアーティストのライブにときどき行ったり、 棚に何枚か京都のバンドのCDを持っていたりする人ならば、 彼らの歌詞や音像が、どんな景色をその背景に持っているのか想像してみてはどうだろう。
そして願わくは、答え合わせをしてみて欲しい。 君の思い浮かべた景色と、作り手が頭や心に貯えていた景色が一致する事は、そんなに少なくはない筈だと思う。

かくして、今日も僕は読みかけの本を置きっぱなしに、街へ出かける。
新しく書かなくてはならない曲の締切が迫っているから、ゆっくりと散歩をするのだ。今日はどこへ行こうかしら。


ジュズツナギ
つぎの方は…
MC土龍
ライブハウス nano
ゆーきゃん
シンガーソングライター
ラリー藤本
CHAINS/マザーシップスタジオ

ジュズツナギ第52回は、ジュズツナギ、次は、烏丸十条のリハーサル/レコーディングスタジオ「マザーシップスタジオ」のオーナー兼「頼れるお兄さん」にして、京都うたものロックを十数年に渡って支え続けているバンド「CHAINS」の名ベーシスト、ラリー藤本氏。お願いします。


ゆーきゃん
シンガーソングライター。西部講堂でのD.I.Yフェスティバル「ボロフェスタ」主催者。
弾き語り、バンド編成、大阪のトラックメイカー/ピアニカ奏者「あらかじめ決められた恋人たちへ」とのコラボレーションユニットなど、多彩な表現形態で縦横無尽に活動中。独特の言語感覚と幻のように儚い声質で紡ぎ出されるきわめて映像的な世界がじわじわと中毒者を増やしている。初夏には待望のセカンドアルバムを発売予定。
http://akaruiheya.moonlit.to/

★ページトップに戻る

★ジュズツナギINDEX

★H O M E

Copyright(c) otosata.com. All Rights Reserved.