ジュズツナギ

第 5 回

「 That's Why I'm Here 」

田中イラスト

画:葛城淳司

田中正久
(VILLAGE GREEN)

 安田君にビートルズ以外のすべての音楽を教えた田中です。いや、この件については後程に。滋賀の田舎生まれの僕がどうして京都にいるのかをまず書いてみます。

 中学2年生のとき(もう30年程昔です)に都会に住みたいと思った理由のトップ5は、(1)レコード屋がいっぱいある。当時すでにややマニアックな傾向のポップス・ファンだったので田舎のレコード屋にはほしいものがなかった、(2)コンサートへ行きやすい。この頃コンサートへ行くなんて夢のまた夢のようなものでした。(3)キレイな女の子が多い。というような書き方でもいいが、たぶんロックファンの女の子がいそうというのが正しかったかもしれない。(4)親から離れて暮らしたい。これはモチベイションとしては一番説得力があるのでは。(5)立身出世のためには都会へ出なければならないと思っていた。

 それではなぜ京都だったのかというと、一番近い都会が京都だからということになる。東京か大阪の方が京都よりずっと都会であることは小学生の時でも知っていたが文字通りの世間知らずであったため都会=京都という観念に支配されていたのだろう。まあそうこうしている間に京都の某大学に行くことになったので晴れてニセ・シティ・ボーイへ一歩踏み出すことになったのです。

 同級生の中には東京へ行った連中もいるけれど、たいていは田舎へUターンしている。京都くらいの方が帰ろうと思えばいつだって帰れるかなんて感じでつい居ついてしまうのかも知れない。つまり僕は成り行きで大学を出た後フリーター(当時はこんな言葉はなかった)生活なんかも経験したりして、いつの間にかレコード屋をやりつつ京都を生活の場にしているわけです。

 安田君とは80年代の5年間一緒に働きました。僕が彼に教えたというのではなくお互いに仕事をやっていく中で勉強をしてきたという感じです。ちょっと変なたとえですが、エルヴィス・コステロとニック・ロウの関係に近いという気がするんですがどうでしょう。もちろん僕がニック・ロウでしょう。ちなみにこの連載の二人前の苗村君は僕の店がオープンした日に並んでくれた最初のお客です。

 最後に僕が今京都にいる理由のトップ5を書いておきます。(1)ほとんどの友人が京都にいる。音楽の好きな人達ばかりである意味少年の頃の理想が実現されています。(2)自分の店が京都にある。もう皆が永い付き合いのお客さんです。彼らを捨ててどこかへ行くつもりはありません。(3)親が二人とも亡くなったので田舎に帰る理由がない。これは逆ちゃうと思う人もいるでしょう。でも本当にそう思っているのです。(4)歩くことが好きなので徒歩でどこでも行ける京都はつごうがいい。実際田舎で道を歩いている人など一人もいない。誰もが50メートル先へも車を使っています。それで故郷(ふるさと)の自然を守ろうなんて言っている。(5)将来京都府知事になるため。


ジュズツナギ
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安田 謙一
安田ビル
田中 正久
ヴィレッジ・グリーン
バンヒロシ
bambino

第6回は、バンヒロシさん。肩書きはレコーディング・アーティストか?バンチャンと僕が唯一ちゃん付けで呼ぶ友人。理由はアグネス・チャンと同じ(?)。 80年代京都サブカルチャー界の顔役の一人だったと思うがどうでしょう。

田中正久
田中 正久
1973年からずっとキンクスを聴きつづける男。1987年レコード店ヴィレッジグリーンを開業、現在にいたる。

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