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どもです。80年代京都サブカルチャーの黒幕BANです。 原宿では、50Sファッションに身をかためた奴がめっきり少なくなってきて、代わりに髪の毛ディップでツンツンにしてたり安全ピンを耳にさしてたり、ちょっとしたカルチャーショックだったんだけど、そいつらの跡をついてったら{SEX」っていうブティックがあって、そこで初めてPUNKな人々を見たんだな。そいでもって新しもの好きの僕は、その店で一番地味な(笑)服を買って京都に帰ってきたんだ。 もう京都では変人扱い、ロックンローラー仲間は、あんた誰?って感じで遊んでくれなくなったんだけど、「もういいや」って思ってNewwaebバー「万歳倶楽部」を創業、これが19才の秋でした。 その次の年には「anan」の京都特集でとり上げられ、おもしろいバーとしてTVや雑誌にのりはじめ、あれよあれよと言う間に京都の観光スポットになり全国のいろんな所からいろんな奴が集まりやりたい放題してました。やはりその頃は時代と踊ってました。Neawwaebと言われるバンドの連中やPUNKSと呼ばれる奴が集まり出しました。(でも本人は、なんにも考えてなかったんだけど…) その頃、巷では木屋町でPUNKSとヤンキーが毎日ケンカしてるだの抗争が耐えないと言われ、京都の街を平和に!とか言ってるみたいでしたが、「それは言いすぎやろう、ウソやで」と思っていたところ、あのTV番組「11PM」から出演依頼のTELがかかってきました。PUNKSとヤンキーの徹底討論をやるのでPUNKSを20名ぐらい集めて欲しいと言われ、俺たちは血の気の多い奴を集め、尾崎豊の様に熱くなって大阪読売TVに向かった。 リハーサルが始まるまでかなりの厳戒体制で楽屋も分けられ土佐犬ファイトの緊張感でしたがディレクターの指示でスタジオに行くと、そこは映画「ウェストサイド物語」のオープンSet。そして双方にらみあって近づくとの命令。BGMはもちろん映画のまんま「COOL!」。ひととおりにリハが終わると、なぜか僕だけ別の控室へつれていかれディレクターより「君は仕切りが出来そうなので審判してもらえないか?」と言われる。まあ仕方ないかと思い、「いいですよ」と言ってユニフォームに着がえるとなんとゴキブリの衣装、そして渡された台本とは!! 本番が始まった、ゴキブリに扮した僕がにらみあったヤンキー20名とPUNKS20名の間に立つその後には各チーム応援団として宮川大助花子が立っている、そして僕はこう言った「抗争ばかりしていても仕方がない、ここは男らしく勝負しよう!この後にあるドラム缶に何人入れるかを競って勝った者が明日から京都の王者だ!」決着は案の定「引き分け」になり次の日木屋町は、なんにも変わっていなかった。ただヤンキーもPUNKSも現在京都では生息していないようだ。 あの頃、僕らは街で踊っていたような気がしていたが、実はマスコミに躍らされていただけだったんだ。 |
田中 正久 ヴィレッジ・グリーン |
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バンヒロシ bambino |
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小川顕太郎 CAFE OPAL |
第7回は、カフェオパールの小川さんです。「カフェブームの始まる前からカフェだったオパールはかっこいい!」 |
![]() バンヒロシ |
現在デジタル歌謡ロカビリーバンド「bambino」Vo、として活動。又、エキゾチックパーティ「クラブEDEN」をオーガナイズ。名盤「バンちゃんとロック」より18年振りにこの夏、4曲入りアナログ盤「il bambino ed ROCK」を発表。そのサウンドは昭和モダニズム、ジャパニーズラウンジ、歌謡ロカビリー等なつかしあたらしいテイストに溢れていて21世紀珠玉のポップ集になっている。今後のライブ活動やパーティは要チェキ!! |
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