ジュズツナギ

第 7 回

「 『京都系』との闘い 」

小川顕太郎

小川顕太郎
(カフェ・オパール)

 私がカフェ・オパールを始めた頃は、まだカフェブームは起っていませんでした。もしかしたら東京あたりでは起りつつあったのかもしれませんが、流行に疎い私はそのような気配には全く気付かず、大した考えもなく始めてしまったのです。

 オープンして1年。あんまりにもお客さんが来なくて、絶望的な気分になりつつあった時、カフェブームはやってきました。それも「京都」という土地を異常にクローズアップする形で、それはやってきたのです。もちろん我々もブームの恩恵に与り、一息ついた訳ですが、このブームと共にやってきたのが「京都系」なる不思議な言葉。 これは渋谷と京都で異常にピチカートファイブが売れることに目を付けたマスコミが、「渋谷系」からの連想でつけた商売用の言葉だな、と他人事のように傍観していた私ですが、気が付けばオパールも「京都系」に括られており、吃驚しました。何故なら、オパールは外観こそ白を基調にした店内にポップな配色の家具・ソファー、素人くさい若者達による運営、と如何にもソレ風ですが、中身は全く違っていたからです。

 「京都系」といえば、フランス好き、雑誌は「オリーブ」、音楽はボサノバかフレンチポップス、キーワードは「ガーリー」、といった所でしょうか。ところがオパールは、日本好き、雑誌は「映画秘宝」「サイゾー」「諸君!」、音楽はノーザンソウルにモダンソウル、キーワードは「ディメンテッド・フォーエバー」「ファッキンジャパニーズくらい分かるよバカ野郎」、といった具合なので、本当に全く違うのです。もし私が生っ粋の京都人であれば、「そう言わはるんやったら、そなんちゃう?」と軽く受け流したでしょうが、あいにくバリバリの「よそさん」だったので、「違うんだ!そうじゃないんだ!」と、不粋な闘争を始めてしまったのです。

 まずは反フランスという立場を明確にするために、あえて「京都パリ化反対」運動というのをやりました。しかしこれは、フレンチ好きのお客さんがオパール離れを起こしただけで、無惨にも敗退しました。しかもカフェブームは、フレンチ好きの人達によって支えられていたので、経営的に大打撃でした。

 次に、「京都系」というのは、フランス人による文化的洗脳ではないかと思い当たり、フランスを中心にしたEUに対抗すべく、大東亜共栄圏の再建を訴えましたが、中国と韓国の強い反対にあい、これも挫折しました。現在は、日独伊三国同盟の再建を目論み、奔走中です。

 そうこうしているうちに、京都中に、ドクターイーブルによる世界支配の出先機関であるスターバックスが大進出!(「オースティン・パワーズ」参照)はっと気が付いた時には、すでにガイドライン法案は成立し、アメリカは日本の宗主国として振舞うようになりました。こうなれば、御所に天皇陛下をお迎えし、我々は一丸となって文化防衛にあたらねばならないのではないか、と珈琲を飲みながら妄想にふけっています。

 「京都系」との闘いは、とんでもない所まできてしまいました。


ジュズツナギ
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バンヒロシ
bambino
小川顕太郎
CAFE OPAL
松山禎弘
ロマンザ

第8回は、美容室ロマンザの松山さんです。「マツヤマさんは、軟弱なフレンチ野郎かと思えばさにあらず。男気あふれる愛国者の美容師で、私は自分の不明を深く恥じました。以後、カットは必ずロマンザでする事に決めています。」

小川健太郎
小川顕太郎
3年間の会社勤めの後、1年程遊び呆けて、1997年に、京都の河原町三条をあがった所にあるレディックビルの6階にカフェ・オパールを開店。みなに支えられて現在に至る。

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