引っ越しをしたことが無い。
このリレー連載前回担当大前チズル女史に紹介されたように、
京都に生まれ四十余年ずっと同じ処に居る。人間あまり長きにわたり同じ家に住んでいるとその躰から根が生えると云ったのは吉行淳之介だったか、
庄野潤三だったかもしれない。そのデンでいくならば、私はかなりこの家と一体化しているのかもしれぬ。
旅行へも余り行かない、若い頃からそうだった。家の者が、何処かに行きたいなぁと思わぬのかとよくあきれておったが、
山口瞳の「今晩あたり、庭のミョウガをきざんでヒヤヤッコなんてことを考えると、外国は吹き飛んでしまう。(酒呑みの自己弁護)」
などといったところにぐっときていた。
しかして旅行なんぞ金輪際まっぴらロックかと云うと、そんな事でも無く、誘われれば、
段取りさえしつらえてくれるのだったらほいほい同行したりする。
十代の終わり友人二人の肝煎りで初めて東京へ行った。此処からが本題。旅慣れた連れ二人とは違い、いささか気負って東京へとやって来た私がまず思ったことは、
「京都と同じじゃないか」だった。これには少々解説が要る。初めて観る東京の風景の質感が、だ。
東京の風景の質感が京都や大阪のそれと同じなのは当り前のことじゃないか、とお思いだろう。
つまりその、私は、東京の風景を、テレビドラマ『傷だらけの天使』、
つまりフィルムの質感で思い描いておった訳だ。
そうして実際に我が身を置いてみた東京がフィルムの質感で構築されておらぬ事に少なからず驚き落胆したと、
二十歳目前の人間が。
これはアホである。
それで、おそまきながら自分のフィルムフェチに気付かされた。
私の生まれ初めて抱いた疑問が、テレビ番組のフィルムとビデオの画像の差異についてだったことも、
その時思いだした。
フィルムに映し撮られた京都。この盆地の街が登場する映画はかなりの数にのぼるであろう。
とりわけ私が絶大なるクントウを賜った二本を掲げてこのポンチ作文の了りとしたい。『夜の河』(昭31・吉村公三郎監督)、『鍵』(昭34・市川崑監督)いづれも撮影監督は宮川一夫。
誇りにおもう京都人を一人といわれれば、躊躇なく私は宮川さんを挙げる。
大映京都撮影所を、というより映画史を代表する名キャメラマン宮川さんは生粋の京都人であられた。
引っ越しをされたことはおありであったろうが。
追記
これを書いているとき、テレビから萩原健一逮捕の映像がながれてきた。
その後、連日ワイドショーはおおむね萩原に批判的。萩原に同情的あるいは逮捕に懐疑的な見解だったのは、
私のみた限り、なかにし礼、梨元勝、小沢遼子の三者のみであった。辞退しておった作品の主演を、
執拗に口説かれ出演料までマケて引き受け、共演女優の脚本読み込みの浅さを指摘し、タルいスタッフを叱咤したら降板させられ、
未払いのギャランティーを請求したら逮捕された。意図的に萩原寄りに書いてみた。台本読みや撮影の現場を見ていない私に、
萩原、岡田プロデューサーどちらのいいぶんがもっともなのかなどはわからぬ。逮捕直前の萩原や、玄関から警官が入ってくる瞬間など、
異例の映像が放送された中、萩原がながしで食器を洗っている姿があった。
私は深作欣二の『県警対組織暴力』モノクローム回想シーンを思い出さずにはいられなかった、あの有名な台詞とともに。「あん時よ、わしゃお前が使こうた茶碗洗うのを見て、こいつによのう、十五年二十年の刑喰らわして、ほいで誰が得するか思たんじゃ、わしゃ…」
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