「いつものお店でお見かけするあのお方、お近付きになりたい気持ちはグッと堪えて
今日も淑女のふりをしてお声かけを待ってしまった」
知合いだと言切って良いものやらわからない大先輩そんな森センセ様に依頼され、ま
たイイ女のふりしてつい受けてしまいましたが、まさか私に回ってくるとわっオトサ
タジュズツナギ。
久しぶりに覗いてみたらズラッと京都文化人御大ばかりじゃないですか。
しかもよく考えてみたらお題は「京都と音楽と私」って、、、、。
京都に住んで30年になりますが両親共近畿圏外育ちの上に京都碁盤文化での生活なん
て一度もしてないから京都しか知らないくせに今だに京都人であるとゆう意識は無い。
それから今でこそbambino(バンヒロシ)のコーラス&踊子やラブハンター熱い肌な
どでステージに上がっている身ではありますが、音楽を意識出来るようになったのな
んてつい最近の事。
「気が付いたらこうなっていた。」ただそれだけなんである。
そんな私がさてさて何を書きましょう。
私は京都の下町の下町南区吉祥院とゆう情報文化から閉鎖された二つほど時代から遅
れているヤンキーが主導権を握るとゆう環境の中でクラシックバレエ一筋の小学中学
生活を過した。
私が多感な思春期を迎えた時期はちょうどバブル時代。
フォークもロックもパンクもニューウェーブも終わった時代に思春期をおくった。
思い起こせば中学生まではTVからの音楽とクラシックしか知らなかった。
中学生活も半ば、のさばるヤンキー文化に反発するようにビビアンどっこいロリータ
少女に啓もうしてゆき歳の離れた兄を持つ友達によくわからないパンクのテープをもらいよくわからないま
ま聴いていた。(コンチネンタルキッズ、原爆オナニーズ等だった)なんかわからんが新しいと思って聴いていたがこのとき時代はブルーハーツがメジャーで売れ出し
実際のパンクはもう終わっていたはずである。
人と違う自分に酔いながらも同じ匂いのする人を求めて出会った友達にライブハウス
なるものに連れて行ってもらい、色々なバンドを観た。西部講堂に行ったのもこのこ
ろだった。
この時期が一番たくさんの音楽に触れていた気がする。
クラシックバレエを踊る日、ブルース、R&B、ロック等をライブハウスで聴く日、ロ
リ系のお約束戸川純やナゴム系にも手を出し、ヤンキーイケイケ同級生達とディスコ
でユーロビート、お姉さん友達に連れられクラブでテクノ、、、。私の節操の無さはこの時培われたようだ。
なもんで私にとったらチャイコフスキーもビートルズもピストルズもタイガース
もYMOもカラヤンもカイリーミノーグもアレサフランクリンも蘭子さんも皆同じ憧れ
の雲の上のお方。
そのまま浅く広く大学を出て美術作家をしながらホステスになりその同じ雲の上に美
空ひばり、江利チエミ、青江三奈、坂本スミ子等も入ってより節操はなくなっていっ
た。
そんな時ひょんな事から木屋町のロックバーでバイトする事になった。
この店での出会いは本当に凄かった。
雲の上の方々がワラワラやって来るのである。
ステージでの印象とは全く違う彼達に、出会ってから半年以上たってもその人だとは気が付いて無い事もよくあった。バカだと笑われるのであろうが私にしたら毎週ジョンレノンがモーツアルトがサムクックが私の作る酒を飲みにやって来るのである。オーティスレディングに口説かれてシドビシャスと映画の話しをしジミヘンとエロ話しで盛り上がる。まさにそんな感じな
のである。その流れで憧れの雲の上の方々と友達になって、いつのまにか一緒のステージにまで上がっている。
凄い事です。中途半端な時代に生まれ中途半端にしか音楽体感できていない私がよそ
の町にも一歩も出ずに同じ所でただ好きな物だけ選択して生きてきただけで憧れの雲
の上の方と出会え話しが出来てジュズツナギの依頼までうける。
こんな事が起るのはやっぱり京都だからなんでしょうかね。
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