ジュズツナギ

第 23 回

「ライブの夜に身をまかせ」

大内聖子
(ダムタイプ)

 京都の街は狭い。人のつながりもすぐ知り合いに往きついたりする。でも奥が深く、 知ってるつもりで全然判ってなかったりする。それが面白い。
 個人的には確固たる 意志で京都に住もうと決めた訳ではないのだが、大学でこちらへ来て以来、離れる理 由のないまま今に至っています。
 中学・高校時代よく、京都市美術館に来ました。四条河原町を東にてくてく歩いて、 円山公園を抜け、平安神宮の大鳥居を見上げるコースが好きで必ず歩きました。 その頃、すでに京都の美大に行っていた姉に連れられて、いわゆるロック喫茶なる所 へ行った事を思い出すと、あの薄暗く狭い店内に、これでもか、という音量の音楽が かかっていて、煙たくて、でもその狭さと音圧とが妙に居心地よくて、楽しかった。 『身を任せる』ってこんな感じ?とか思った様な。
 それまで繁華街にも行かず、喫 茶店にもほとんど入った事のない私にとっては、別世界を覗いたような感覚でした。

 そんな若い頃の私は音楽にも暗く、ロック・洋楽、特に自分でこれだ〜と思って聞 いていたジャンルは、自分でも良く分からない、多分バラバラです。デビッド・ボウ イやアダム・アントのビジュアルが好きで聞きはじめたり、音楽というより戯曲みた い!と感動して買ったのが『クリムゾン・キングの宮殿』だったり。
 リズムが最高 だったのはりップリグ・アンド・パニックというアフリカ系(ジャンルよく分かりま せん)、でもクラッシュも好きで、フィッシュボーンも大好き。
 情報源は友だち、 ラジオで、お気に入りの曲をカセットで編集したマイテープなるものを作って交換し、 (70年代ってこんなものでした)後はその一曲を頼りに貯めたおこずかいで月レコー ド1枚が精一杯。レンタルなんてなかった時代、というか地域でした。その頃、好き なバンドでもメンバーの人数も名前も曲名も覚えず、そんなことどーでも良いのだと 思っていたようで、今となっては人と話す時あまりに知らなくて恥ずかしいと思うコ トもしょっちゅうです。言い訳じゃないけど、もう、その一曲がわくわくして、乗れ る!ひたれる!に尽きるのです。音楽って。

 ライブハウスに行くようになったのは大学3回位からです。知り合いのバンドを観 に行き出すと、対バンに出会い、それが気に入って、そのバンドも見に行くようにな る。話してみたら共通の知り合いがいたりして、その輪が広がっていく。それが今の 私の京都での音楽で、最も好きなジャンルなのです。 もちろんみんなメジャーじゃ ないし、いろんな理由で解散しちゃったり、メンバー替わったりと、曲以外の情報も 多くなる。でも、バックグランドを知っている人達の、舞台での変わり様を見る愉し みにライブ感を感じてしまう。
 音楽とは違うけど、自分も舞台に立つ者なので、技術とか以上に気合いとか熱っぽ さとかを感じる時、そのギャップというか非定式(定式っていわゆる定番)に強く 惹かれるし、そのリズムに身を任せられてしまうのです。相乗効果ばっちりです。

  私のやっているパフォーマンスはアドリブとかほとんど入るすきがありません。ビデオや音とキメ細かくシンクロして身体を動かす為、舞台に組み込まれた装置の様で す。が、そこは生身の人間として、それだけで終われるはずもなく、限られた動きと 空間の中でいかにテンションをあげて演れるか、常に挑戦するのです。私の好きな、 『ライブ』な人達の様に。やはりLIFEはLIVEだってコトなのかな。
 大袈裟でなくそう思います。こうして、京都の夜は、またライブハウスで更けてゆき、 私のロックな気分が盛り上がってしまうのです。


ジュズツナギ
つぎの方は…
しのやん
Rock A GoGo パラダイス企画
大内聖子
ダムタイプ
石束悟郎
勇み足

第24回は、石束悟郎さん。『勇み足』というイベントのDJであり、GOOD RECORDの主催者です。デザインセンスもあって、Tシャツを作ったりも。音楽畑の友人のなかでも、とっても頼りになるいけてる存在です。


大内聖子
84年に結成したダムタイプシアターのメンバーとして、 パフォーマしていました。途中リタイアするものの、諦めきれずダムタイプと改名した現グループに復活。以降主にヨーロッパ等を中心に活動中。スタッフになったりパフォーマーしたりしています。8月にびわこホールで公演する予定。ドラマーのだんなあり。

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