ジュズツナギ

第 30 回

「 居場所 」

中村ゆきまさ
( シンガー)

「ちょっと京都に歌いに行って来るよ」そう言って家を出て18年が過ぎた。なぜ京都だったのか…もう忘れてしまった。かつての”ブルースブーム”など何の関係もなかったし、”関西フォーク”に憧れていたわけでもない。”ただ家を出たかっただけ”だったのかも知れない…。

思えば京都には少なからず縁があった。
子供の頃、親戚の関係で夏にはいつも京都へ来ていたからだ。修学旅行(!)で来た時などは「なぜ今さら」と思ったくらいである。だからどうかは分からないが、「古都京都」という一般的なイメージは残念ながら僕は持っていない。

その「今さら」な街へとやって来た。
今思いかえしても全く赤面モノなのだけれど、「夜遅くまで人が歩いているなぁ」だとか「コンビニって便利だなぁ」などと下らない事に感心しきりだった。中でも極めつけは、都会の象徴(と思い込んでいた)「地下鉄」!これにはシビれた。完全にヤラレちまった田舎者の図である…。モチロン、今ではどうという事のない日常なのだけど。

何と言っても僕を夢中にさせたのは、先にも挙げたムーブメントが生み出し、そしてまたムーブメントを生み出したとも言える「歌える場所」が数多くあった事だ。

その頃あったそれらの場所の中にはLiveスペースという顔と同時に、いや、それ以上に酒場としての側面を持つものが多かったように思う。そこではバンドであるか、ソロシンガーであるかといったジャンルも、時には観客と演奏者という垣根さえ越え、もちろん馴れ合いなどではなく、音楽の話や、概ねそうだったかも知れないが、とるに足らない下らない話で盛り上がり、その出会いやエネルギーが、その場所を活気づけ、また次の流れへと続いていった。

酒場として機能を持たないスペースでも、あらゆる表現を発信する場としての生々しいエネルギーを湛えていたし、いかにも「何か起りそうなムード」をかもし出していたものだった。

地方から居場所を求めてやって来た青年が、そのような場所、場面に身を置いて衝撃を受けない筈はない。
少なくとも、その青年のその後を決定づけ、長らくこの街に居続ける理由のひとつになった事は確かだ。

しかし、いつの間にか時間も人も流れ、数々の場所が生まれては消えていった。
今でも元気に頑張ってくれている場所はいくつもあるけれど、それらが置かれている状況は今も昔も厳しい事に変わりはない筈だ。

その中で「僕に何が出来るのか」と考えてみたりもするが、なかなか答えは出ないし、思った様にゆかないのもまた現実だ。だが、なんとかそんな場所を残してゆきたいと思っているし、残っていって欲しいと願っている。
次にまたこの街へとやって来るであろう、あの時の自分の様な人のためにも…

たくさんの"何か"、店、人、音楽、ムーブメント、ファッション、etc…
何が残って、何が消えたんだろう。
何が変わって、何が変わらずにあるんだろう。
僕はまだ歌っている。

「ちょっと」というには長くなってしまったけれど、あの時「歌いに行って来るよ」と言って家を出てきた時のまま…。


ジュズツナギ
つぎの方は…
北園 竜彦
Toy Box
中村 ゆきまさ
シンガー
山植つよし
コミュニケーション・
コーディネーター

第31回は、自称、コミュニケーション・コーディネーターにして、京都打ち水大作戦の提唱者という謎の肩書きを持つ男、山植つよし。つよにゃー。


中村ゆきまさ
関西圏を中心に活動を続けるアコースティック・ギター、シンガー。

http://www.lily.sannet.ne.jp/nyard/yukimasa/

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