ジュズツナギ

第 3 回

「 ひとりごと 」

レアバンマン
「レアバンマン」
by.ツジイ

苗村 聡
(WORKSHOP records)

 僕がレコードを買い始めた頃は、当然CDなんてまだ登場して無くって、僕の情報源といえばラジオか FM雑誌か友人だった。当然輸入盤なんて今ほどメジャーな存在じゃなかったし、情報も多くは無かった。 エア・チェックしたテープを手がかりにブツを探したりって、みんなしてたんだけど、幸い京都には充実した 店が幾つか有って本当お世話になったものです。そして驚くべきことにそれらの店で中心となっていた人 たちの多くは京都以外の出身者だった。その昔は京都はブルースの街だったし、70年代後半は どっぷりとパンク/二ュー・ウェイヴに浸かった街だった。やっぱりその中心を担っていたのは学生だったし、 京都という街が持つイメージと幻想に囚われた若者たちがその思いを具現化してきた街なんじゃない だろうか?京都。だから、京都に大学があり、表現しようとする若者たちが居る限り、この状況は続いて いくんだろうと思う。んー、素敵じゃないか。 それはともかく、さっきも書いたような当時の状況にあっては 色々聴こう、捜そう、としてもその実態は幻だらけであったんだな。これが。今や幻の作品・音源を捜す行為 自体が幻であるかのように重箱の隅を突きまくった再発の嵐の中にあるが、それこそほんのちょい前 までは、こんな或る意味恐ろしい時代が来るなんて夢にも思わなかった。

 キンクスのRCA時代やビッグ・スター、フェラ・クティやスピリチュアル系ジャズ、それに今でこそ簡単に 聞くことが出来るようになったブラジル音楽に至るまで僕達はほんの少しの情報をもとに頭の中で勝手な 音像を作り出していた。「このグループ名にこのタイトルということは・・・」「おそらく1枚前のアルバムがこ んな音なんだから、あれはこんなかな?」等々。もっともどれが何枚目で、全部で何枚のアルバムが発表 されていたのかさえ、大物アーチスト以外については謎だらけだったんだけどね。それが、今やインター ネットの検索一発で万事解決なんだから、まあ何とも良い時代になったもんだと思う一方、僕みたいな昔 人間はそこに一抹の寂しさも感じてしまう。

 僕は今でも結構ジャケ買いをしてしまうんだけれども、それが当たった時の快感はやはり捨てきれな い思いとなって僕に宿っているようだ。ジャケットと曲名とプロデューサー等から「うん、これはきっとこん な感じなハズ」と気負い込んでそれがハズれた時の落ち込みというのも中々に良いもんではないか? と、勝手に思っている。安心したいし納得したいし、「どこか良いとこがある筈」と無理してでも聞くところ がやっぱり大事なんではないじゃろか?徒労と分かっていても挑むことで自然と耳も鍛えられるし自分の 本当に好きな方向性も認識出来ると思う。「どれだけ無駄なお金使ってんにゃ」って言う人もいるけど、 そのおかげで絶対に雑誌やガイド本に登場しないであろう自分だけの貴重な1枚を持てたことを思うと それもまたヨシ。それに、棚の隅で忘れ去られていたそのレコードを後年発掘して思わぬ発見をしたり することもたまにあったりして、そん時など何故か最高に得をしたような錯覚に陥れるのもなかなかに よろしい。でも、まあ大概ダメなものは時間が経って余計にダメになってたりもするのだが・・・。

 考えてもみると、もうかれこれ20年以上に亘ってレコードを買い続けているという事実にも愕然とするが その底無し沼の底はやっぱり底無しなのか?と、実感している今日この頃。あな、恐ろし円盤地獄。

 最終的に京都とは何の関係も無くなってしまってスミマセン。


ジュズツナギ
つぎの方は…
林 薫
CLUB METRO
プロデューサー
苗村 聡
WORKSHOP
records
安田 謙一
安田ビル

第4回は、その当時から色々な「おもしろ音楽」を教えて頂いていた京都コア・レコード店の渡り鳥(過去)で音楽評論家(現在)の安田謙一さんです。

苗村聡
苗村 聡
ワークショップ・レコーズ店主。 中学二年の時パンクに衝撃を受け以後、約15年に亘ってバンド活動に明け暮れる。大卒後は人並み に就職するも人波にドロップ・アウト。気が付けば中古レコード店の職歴10余年。

★ページトップに戻る

★ジュズツナギINDEX

★H O M E

Copyright(c) otosata.com. All Rights Reserved.