僕が長崎から京都にやってきたのは、71年の春、19歳でした。
74年に磔磔が出来、76年に僕が入りました。 ざっと見ると30年も磔磔にいるのです。24歳の僕は、54歳になりました。 京都は他の都市に比べて学生が多いからか知らないけど、他府県の人にとって意外と住み易く、規模もちょうどいい広さです。 四条からタクシーで2000円あればほとんどの所へ行けます。 東京は無理です。京都は東京山手線にすっぽり入ります。何といっても京都は人を含めて、町の様子が大体判って、【ジュズツナギ】をやろうと云う気にさせます。 それと磔磔は僕にとって、ちょうどいい広さのライブハウスです。 音響的にも丁度良い広さ。ステージの音がダイレクトに聞こえ、普通のロックバンドはモニターは生音、ボーカルだけで充分です。 磔磔が出来た当時と今とを比べると、出てるバンドの機材、磔磔のP.Aもの機材も上等になりました。 バンド人口も増え「不良が溜まる所」ではなくなりました。 20年位前は、夏休みになると警察やらPTAが児童保護のもと、胡散臭い(?)バンドを視察(?)に来ていたものです。 メンバーの親の年代も、40代、僕より年下です。世代も一回り。 さて70年代の営業時間は、12時から23時まで。夕方頃にバンドがやってきて、一曲ほど曲をやってリハは終了。 その間は普通に営業、お客さんはリハを見てから本番を見ようか、止めとくかを決めていたのです。 12時から21時までは、ライブの本番中を除き、好きなレコードを掛けてました。 それも片面25分そこらのLPです。 これもちょうどいい長さ。CDはちょっと長すぎます。 僕の緊張は25分位です。 これからもずっと京都でやっていくと思います。 よろしく。 |
竹中建三 アセント |
水島博範 磔磔 |
木村辰也 DESTINY |
ジュズツナギ第48回は、木村辰也。ロックバンドDESTINYのボーカル。 |
水島博範 |
長崎出身、高校まで長崎。 19才で京都にでる。 以降、ずっと京都。 ライブハウス磔磔を経営。 |
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