ジュズツナギ

第 48 回

「 京都と音楽と僕 」

木村辰也
(DESTINY)

京都と音楽と俺について書かせていただきます
あくまでも僕の主観でしかないけれど。

僕が音楽家に幻想を抱いて遊んでた80年代後半の新京極あたりには 、
どう見てもパンク(笑)な格好の人。
どう見てもメタル(笑)な服装の人。
派手で過激な奴が大勢いまして大変でした(詳しくは書けませんが)
乱暴に言ってしまえば単刀直入で気性の荒い面倒臭い世代。
で、まったく馴れ合わないクセのある世代な気がします。
すぐ暴れてしまうような殺伐としたアノ感じは、もう無です。
あんなにも個性的だった奴らは何処へ?
更なる闇に潜ったのでしょうか?
今の若者達の演奏活動と言えば精力減退傾向な感じで、
なんとも妙に色気のある人ってのがいない。
もう浮世離れした存在は必要ないって時代なのかな。
みんな同じ顔に見えてしまう感覚ってのは既に僕もヤバイのかな。
どこか冷めてるようにしか見えなくてね・・・・・・・
何かをあきらめてしまったような感じに見えるのです。
それなら、もうバンドなんて〜〜
オッ!!と、口汚い言葉を使いそうなので方向修正を〜

当時の僕には器材車で全国を廻るツアーバンドが本当に魅力的に見えた。
そんなバンドを見るために磔磔やBIG BANGやビブレホールへ通った。
京都会館とか。
刺激的な体験をした後なんかは猛練習したり
寺町錦の暗黒喫茶『クロワシ』で興奮状態で激論してました。
そんなエネルギーが有り余って悶々としてた十代の僕は、ギターも持たずに 、
夜の河原町周辺で『うたいますから聴いてください』と紙に書いて
独りで叫び散らして病人扱いされてました。
そのうち、電池式のカラオケマシーンを持ち込んで、マイクを立てて
歌唱とアジテーションを警察に怒られながらも 、
自分の気持ちだけをアンプリファイドして独りで叫んでました。
週末の深夜は、薬物中毒的な見も知らぬ少年少女達が
グループごとに 僕のマイクを掴んで
訳わからん事を叫んだり危険性アリで楽しかった。
半年ほど続けたけど、現在のようなストリートミュージシャンは
京都の何処にもいなかったです。
バブル景気で浮かれた男に壱万円札を投げつけてられたりもした。

今も呑み屋などで
『あの時、河原町で叫んでた髪の長い奴はオマエかぁ〜!!』と
たまに言われたりします

行き場もなくヘラヘラして最低だった僕を拾ってくれた磔磔で11年。
何をしても長続きしなかった人間なのに、
気がつけば DESTINYというバンドを16年も続けている。

音楽活動に没頭していない時は磔磔にいます(俗称=アルバイト)
店の一番奥・厨房でいろんな気持ちで迷惑かけないよう働いております

独断と偏見のみで僕が思うに、
京都での音楽に関係する人脈の面白いところは、
東京を小馬鹿にして受け入れてない絶妙さと、
IQの高い人がシカトしてる様な特異感が好きです。
ソレを感じた時は思わず小躍りしそうになります。

それと
自然と繋がっていってしまう人脈図式が絶妙で最高です。
妙に繋がっていかない人脈もあったりして尚更に最高です。

あくまでも全ては僕の主観でしかないけれど、
一時的であっても、盲目的な勘違いや根拠のない一途な思い込みも
『ある時期』においては非常に大事なのだと思います。

だとすると、もしかして、アレはそういう事?

そうだといいけど・・・・・・・・・・。


ジュズツナギ
つぎの方は…
水島博範
磔磔
木村辰也
DESTINY
平田浩康
股豪
/STUDIO RAG

ジュズツナギ第49回は、平田浩康くんです。インスト三人組バンド『股豪』のギタリスト。高知出身の29歳。A型。アルコール摂取量が『ある量』を越えると突然、凶暴な部分だけが人格を支配してしまうようです。アナザー人格に豹変する様の凄さは京都の一部地域では有名。RAGの事務所で何をしてるのか知りませんが社員として働いてるようです。


木村辰也
DESTINYのヴォーカル
178cmの50Kg O型 うお座
『死に方教室』という木村辰也ソロの語り弾きも不定期で演っている。

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