京都と音楽と俺について書かせていただきます
あくまでも僕の主観でしかないけれど。
僕が音楽家に幻想を抱いて遊んでた80年代後半の新京極あたりには
、
どう見てもパンク(笑)な格好の人。
どう見てもメタル(笑)な服装の人。
派手で過激な奴が大勢いまして大変でした(詳しくは書けませんが)
乱暴に言ってしまえば単刀直入で気性の荒い面倒臭い世代。
で、まったく馴れ合わないクセのある世代な気がします。
すぐ暴れてしまうような殺伐としたアノ感じは、もう無です。
あんなにも個性的だった奴らは何処へ?
更なる闇に潜ったのでしょうか?
今の若者達の演奏活動と言えば精力減退傾向な感じで、
なんとも妙に色気のある人ってのがいない。
もう浮世離れした存在は必要ないって時代なのかな。
みんな同じ顔に見えてしまう感覚ってのは既に僕もヤバイのかな。
どこか冷めてるようにしか見えなくてね・・・・・・・
何かをあきらめてしまったような感じに見えるのです。
それなら、もうバンドなんて〜〜
オッ!!と、口汚い言葉を使いそうなので方向修正を〜
当時の僕には器材車で全国を廻るツアーバンドが本当に魅力的に見えた。
そんなバンドを見るために磔磔やBIG BANGやビブレホールへ通った。
京都会館とか。
刺激的な体験をした後なんかは猛練習したり
寺町錦の暗黒喫茶『クロワシ』で興奮状態で激論してました。
そんなエネルギーが有り余って悶々としてた十代の僕は、ギターも持たずに
、
夜の河原町周辺で『うたいますから聴いてください』と紙に書いて
独りで叫び散らして病人扱いされてました。
そのうち、電池式のカラオケマシーンを持ち込んで、マイクを立てて
歌唱とアジテーションを警察に怒られながらも
、
自分の気持ちだけをアンプリファイドして独りで叫んでました。
週末の深夜は、薬物中毒的な見も知らぬ少年少女達が
グループごとに 僕のマイクを掴んで
訳わからん事を叫んだり危険性アリで楽しかった。
半年ほど続けたけど、現在のようなストリートミュージシャンは
京都の何処にもいなかったです。
バブル景気で浮かれた男に壱万円札を投げつけてられたりもした。
今も呑み屋などで
『あの時、河原町で叫んでた髪の長い奴はオマエかぁ〜!!』と
たまに言われたりします
行き場もなくヘラヘラして最低だった僕を拾ってくれた磔磔で11年。
何をしても長続きしなかった人間なのに、
気がつけば DESTINYというバンドを16年も続けている。
音楽活動に没頭していない時は磔磔にいます(俗称=アルバイト)
店の一番奥・厨房でいろんな気持ちで迷惑かけないよう働いております
独断と偏見のみで僕が思うに、
京都での音楽に関係する人脈の面白いところは、
東京を小馬鹿にして受け入れてない絶妙さと、
IQの高い人がシカトしてる様な特異感が好きです。
ソレを感じた時は思わず小躍りしそうになります。
それと
自然と繋がっていってしまう人脈図式が絶妙で最高です。
妙に繋がっていかない人脈もあったりして尚更に最高です。
あくまでも全ては僕の主観でしかないけれど、
一時的であっても、盲目的な勘違いや根拠のない一途な思い込みも
『ある時期』においては非常に大事なのだと思います。
だとすると、もしかして、アレはそういう事?
そうだといいけど・・・・・・・・・・。
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