ジュズツナギ

第 53 回

「 京都のとあるバンドマンの話 」

koba-yang
( LuckyLips )

銀閣寺道CBGBに初めて出たのが高校3年の冬。京大軽音のイヴェントRock Steadyだった確か。それからちょうど20年か。

その頃に初めて見に行った西部講堂ではブルースのイヴェントなのになぜかパンクバンドがやっていた。司会の人も「ファンクバンドって電話で聞いたので出てもらうことにしたのですが・・・聞き違いでした、でもいいでしょ、こういうことがあっても」って言ってたな。場内がほんとに暗かったのを覚えてる。ステージは立派やったな。ギャンブラーズがブルー・モンクやってたのを覚えてる。

大学生になってよその学生も入れてくれるという京大軽音に入った。高校3年の頃既に出入りしてたけど。練習ボックス棟は木造のぼろぼろの2階建てで窓もサランラップみたいなのが貼ってあって猫がいっぱい住んでた。弦が切れて飛び出ているぼろぼろのグランドピアノが奥にあった、あまり使われてはいなかったけどなんかかっちょよかった。音は外に漏れ放題、練習してると先輩ミュージシャンたちが楽器取りに来たりしてぼーっと聞いていってくれたりして。凄い曲やってるなとか今度いっぺん吹いてくださいよとかってやってた。

ボックス棟はある日誰かに火を点けられたりなんかして燃えて無くなってしまった。学園祭でいつも出てた尚賢館(字が間違ってるかも)もその頃同じようにして燃えた。 ボックスは移転して学園祭は西部講堂内でやるようになった。練習中に誰かがやって来て聞いて行くってことはめっきり少なくなった。

ライブハウスはどん底ハウスに一番出てた。今出川堀川。 DUSTが凄くてZinさんのアンプのセッティングを盗み見たら全部10でひっくり返ったりしてた。 どん底ハウスの音が好きやった。拾得も磔磔も出てたけどどん底ハウスの音が一番好きやったな。店内は壁も床もまっ黒で壁に坂田さんのペインティングがどわ〜ってあって。いけないことをする場所って感じてた。楽屋の壁一面にグラスウールが露出していて服に付いたら痒くて大変やった。

大学辞めて初めて働いたのがどん底ハウス横に出来たDHって店。どん底マスターが「誰かやらないかなあ」って言ってたので家を放り出されて途方にくれる予定だった僕は飛びついた。元々ママさんがいるようなスナックだった店で毎日カレー作ってた。給料は出たり出なかったり、でも食うものには困らないから良しとしてた。少年ナイフとVampire!がどん底ハウスでやった日にマスターが「今日は客がいっぱい来るから看板下ろしてあんまりいっぱいこっちに来ないようにしよう」って言ったのがおかしかったなあ、こっちは楽でいいんだけど。そんな店やった。ふくろくやダイナマイトヘッズがよく呑みに来てくれて物凄く仲良くなったのもこの店でだった。

1年経ったかどうかって頃にどん底ハウス共々なくなることになって丸太町のアザーサイドに僕も移転。平日は弾き語りフォーク、水曜日は弾き語り飛び入りライブで日々ストレスを溜めてた。1日中ロックバンドがやりたいのに。「お前そのうちアコギのこと嫌いになるぞ」って友人に言われた。ライブ後爆音で村八分ライブかけたりしてたな、帰れ帰れ!って。遅い時間に練習終えてやってくるバンドマンが待ち遠しかった。 でも週末はロックバンドが出てPAやったりもしたな。毎週遅くまで時には朝まで呑んでた。そういえば東京ラーメンにはまって毎日昼ラーメン夜カレーライスって食生活が続いて厨房で洗い物してたら鼻血が止まらん様になったりしたのもこの頃だ。

アザーサイドにいる頃、ひょんなことからその頃活動を再開してたチャー坊の目に止まって村八分に入ることに。京都でバンドマンて恐い人ばっかりやと思ってたのに、一番恐いバンドに入ってしまった。 まだメンバーが揃わなかった(何故揃わなかったかは書けない)頃はチャー坊の下宿で曲作り。分厚い絵画全集が数十冊、布団のないこたつが一つ、その上にはキセルとアルミホイル、その他には何もない部屋。チャー坊の時間が止まった頃「なんか弾いてみて」って言われて僕は自分の曲を小さい声で披露、目を瞑って聞いてたチャー坊は「フジオ好きやねんなあ」って。「もっと立体的に弾くもんやねんギターは」って教わった。 メンバーの中でも飛びぬけて若かったので僕は子供扱いやったかもしれん、ドラッグも廻ってこなかったし。これはありがたかったな。チャー坊が僕を守ってくれてると感じてもいた。

長くなった。村八分のことなんて書けないことばっかりだ。もう終わりにしとこう。

最後に一つ、チャー坊の下宿で新しい曲のアレンジを考えてた時、いつもの穏やかな柔らかい声でチャー坊がにやっと笑って僕にこう言った。

「作りすぎや、こばやん」

この一言をわかるために僕はまだやっているのかもしれん。


ジュズツナギ
つぎの方は…
ラリー藤本
CHAINS/マザーシップスタジオ
koba-yang
Lucky Lips
東賢次郎
つれづれ

ジュズツナギ第54回は、京都にて音のM字開脚を追求するバンド・オブ・ジョイトイ「つれづれ」のリーダーでG&Vocalそのほか色々担当の東賢次郎氏。飄々とした表情とは裏腹に、実に濃厚な音楽観を持って京都の音楽シーンに横槍を入れ続ける大人気ない人。最新の機器を駆使しつつも愛用のストラトキャスターはマニア垂涎の一品。僕とは20年来の付き合いですが、一度もこの人に腹が立ったことがない。しかし!只者ではないですからご用心。


koba-yang
LuckyLipsのguitar & vocal。LuckyLipsは1989年結成、京都・磔磔をホームグラウンドに活動。磔磔で主催する『EASY OPEN』は過去37回を数え現在も続々ブッキング中。 詳しくは LUCKY LIPS official web site まで。

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