ジュズツナギ

第 58 回

「 焼け跡 」

粕谷茂一
(Slim Chance Audio)

吉田寮の厨房奥と呼ばれていたスペースが焼けたのは、いつだったろう?90年代の後半だったと思う。昼ごろ電話で起こされ行ってみると、厨房との境である防火壁まで見事に焼け落ちていた。

当時そこには古株寮生がごみバイトで集めた機材が雑然と置かれ、いくつかのバンドが練習していた。機材たちは瓦礫に埋もれ、水浸し。この辺りに出入りしている中では一番機材に強そう、ということでお呼びがかかったのだが、実際は素人なのでよく分からない。

よく分からないが、これはまずい。2週間後には所属していたアフリカ研究会のパーティがある。これまで会のOB(にして出演バンドのメンバー)であるところの、件の古株寮生が音響係をやっていたのだが、放浪旅行に出発するにあたり、その後任を僕がやることになっていた。安請合いはもともとの性分だが、知識もよそから機材を借りるあてもない素人としては、困ったことになってしまった。

瓦礫に埋もれた焼け跡には、その場所で練習していた人を中心に、僕のほかにも困っている人たちが集まって、これからどうしようと相談していた。その時初めて会う人もいて、とにかく一番せっぱ詰まっていたのがラブラブスパークこと長谷川一志だった。次の週末に文学部中庭でライブを企画していたのだ。瓦礫の中から機材を掘り出したり、乾きやすいように並べたりしながら、自己紹介し合い、ともかく協力して2つのライブを乗り切ろうと約束した。

ライブ当日までのことはよく覚えていないが、中庭の校舎際に人の背ぐらいのイントレを立てて、その上に縦長のスピーカーを横向きに2発おいて、その前でバンドが演奏してたのは記憶している。マイクは5本くらいあったかな?ボーカルしか拾ってなかったと思う。翌週のパーティも同じシステムで乗り切った。今から思えばバンドの内容もパーティとしての出来もよかったが、それに加えてスタッフとして仲間と共に困難を乗り切った的盛り上がりで、相当楽しいことになった。幸か不幸か、何かが目覚めてしまったのだった。

それからも色々あって(吉田寮に入寮したり、西部講堂のイベントに関わるようになったり)、今の自分を説明するには長い時間が必要なのだが、「火事」などというありふれた、自分の意思・行為と何ら関係のない出来事から自分と周囲がぐるぐる動き出したあの感じは、何だかとても強烈な痕跡を僕に残したのだった。


ジュズツナギ
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福西次郎
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黒田誠二郎
細胞文学

ジュズツナギ第59回は、闇を携え、京都を中心に全国各地で音を紡ぐ「細胞文学」のチェリスト。最近ではテニスコーツのサポートなど活動の場を広げている。


粕谷茂一
1972年東京生まれ。93年来洛。音響エンジニア集団「Slim Chance Audio」所属。「気楽なスタンスで関わりだしたつもりが、気づけばどっぷり」を各所で繰り返し現在に至る。京大構内には「焼け跡」がいくつもあるが、いつまでも「焼け跡」のままではないのだとあらためて思う今日この頃。

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