牛丼キライ!

週刊クロカワ

< 30-21




20 偏差値教育の弊害 2002/10/27 17:37

ウチのコンビニはコンビニのクセにトイレを開放していない。ので、一晩に数回は必ず「すみませんお手洗い貸して下さい」「すみません、トイレお貸ししてないんですよ」というやり取りが展開される。毎晩毎晩「トイレ貸して」と言われ続けて早三年近いが、世の中には尿意を抱えたまま街を闊歩する人が潜在的にこんなにたくさんおるのかと思うと感慨深い。尿意マイフレンド。尿意マイLOVE。ドントフォーゲット便意。人間は何と業の深い生き物だろうか。そして俺は何を書いているのだろうか。

使い捨てコンタクトレンズを使用している。
最近新しいのを買いに行ったら「これ付けときますので」と使用説明書のような紙切れをくれた。まあ普通なら一瞥もくれずに捨ててしまうところだが、どうしたわけかその日は「ヨシ、説明されてやろう」という気になり読んでみた。
説明書自体に問題はなかったが、一緒に付いていた広告が良くない。

レンズ交換日お知らせメール 
〜うっかり交換日を忘れてしまったことはありませんか?〜と来た。

その広告によると、携帯やパソコンから登録すると「明日はレンズ交換日です」というメールが届く仕組みになっているらしい。

ここで「コンタクトの交換日なんていちいち守ってるヤツなんかいねーよ」と突っ込むことは無意味だ。このコンタクト会社(ちなみにボシュロムだが)が他社とのサービスの差異化を図るあまり、ものすごく頭の悪い領域に足を踏み入れてしまっていることが問題なのだ。

「我が社独自のサービスとしてレンズ交換日お知らせメールというのをやってみたらどうでしょう!」と誰かが提案したのだろうが、コンタクトレンズ常用者をバカにするのも大概にしておけと言いたい。レンズ交換日くらい自分で管理・決定出来ずして何がコンタクトレンズ人間か。舐めんな。

もしかしてボシュロム以外のコンタクト会社もこんな阿呆なサービスをやってんだろうか。そして嬉々として登録している人間もいたりするのだろうか。メールを受信して「おっと明日か。アブネー忘れてたYO!」とか言ってんのだろうか。まあいないだろうけど。

それはそうと、コンタクトを買いに行くといつも視力検査をやらされるのだが、僕はつい頑張ってしまうのである。視力検査を。見え難いヤツも必死で目を凝らして「うッ…上…(?)」とか言ってしまうのだ。あれは自分に合った度のコンタクトを処方するための検査だから、頑張っても仕方がない。むしろ頑張ってはいけない種類の検査であると言える。当然見えない時は素直に見えないというべきなのである。なのについ「負けるか!俺の秘められた実力を見よ!」とばかりに無理をしてしまう。そしていつも後悔するのだ。

俺を洗脳した学力競争社会が憎いッ…!





19 メルヘンを再定義せよ 2002/10/25 01:44

このホームページ、オトサタドットコム関係の取材で京都にある「メルヘンハウス」という店に行く。自称「タロット夢占い&オリジナル品」を主な営業内容とするその店は、その「オリジナル品」の数々が乱雑に配置されており、狭い店内はまさに足の踏み場もない。まあ早い話が電波な店なのであるが、ここでは店や店主に関する話は一切置いといて、僕がそこで見付けてしまった店主の手による「創作ポエム集」を紹介したい。

何かカレンダーのような紙を普通のノートサイズに切り揃えたものの裏に書かれたそれは、全部で十数枚はあっただろうか。一枚に付き一ポエムが書かれており、ポエムごとに作者の名前が違っているが、どれも作者である店主のペンネームである。その十数編のポエムが重ねられて強力な磁石で店内の鉄柱に貼り付けられており、一番上には「創作ポエム 値段自由」みたいなことが書いてある。

では同行者がタロット&夢占いをしてもらっている間に僕がコッソリ書き写したそのポエムのいくつかをここで勝手に公開することにしよう。


夢をもち 希望という道を求め歩く旅人でありたい ―綾小路ひみこ―

努力90% 運10% でも人生ほとんど運で決まる ―清然―

君の本当の友は 鏡の中にいつもいる ―17才高校生―

何んで生れ どこに行くの ―三年E組ドリー―

し との出会いは新しい出発 
今せいいっぱい生きてチャンスをつかめ ―占い師―

バックミラーに過去と未来を写す時 ねじに油を ―心の中の鏡店―

愛は海のごとし 人は天国に近い島を求めこうかいする ―詠み人知らず―

iを信じる前に人をみよ ―×女(ばつおんな)―

祇園バヤシが「コンチクショウ」心に響く夏の夜
鴨の水面の街灯り 流れず輝く自分になりたい ―クローン乳牛―

人去りてさびしさあれども 
万物はみな 時のクサリで結ばれている ―白衣の天使―


いかがだろうか。
これらは全て先程書いたような紙の切れ端に油性ペンやクレヨンで豪快に書かれているのだが、その字というのが味があるとか言う以前にひどくツタナイ。二つ目のポエムの作者・清然というのは本人が言うには書道でもらった号?とかいうものらしいが、まあハッキリ言って怪しいもんである。

綾小路ひみこの名前で書かれた手書き小説も一部200円で売られていた。

まあそれだけの話なんだけどね。



18 毛髪純愛劇場2323編 2002/10/24 00:01

人気のモカ大幅値下げ!
ドリップ1杯19円! [コーヒーのBROOK'S]

バナー広告が俺を呼ぶ。

このコラムを書き込む専用のページというものがあるのだが、ページの上下にバッチリ広告が入っており、日によってというかこのページを開く度に違う広告が入れ代わり立ち代わり現れるのである。
言ってしまうがどれもこれも末期的に最悪のセンスだ。
「エッ1杯19円だって!?」なんてクリックするヤツが本当にいると思っているのか。しかも人気のモカ大幅値下げって。モカが人気であることも今読んで初めて知ったよ。

もう一つ印象に残っているのが乙葉がサイボーグのように笑ってるアートネイチャーの広告である。「乙葉の2323ブックプレゼント」と来たもんだ。2323は間違いなくフサフサと読ませようという魂胆である。いいじゃないかフサフサで。わざわざ数字で表記するメンタリティーが全く理解出来ない。…とここまで書いてこれはもしかしてアートネイチャーの電話番号ではなかったかということに思い至ってしまった。スゴイ。カツラ植毛会社の電話番号が2323だなんていくらなんでも出来過ぎじゃないか。

やはり会社を興し電話番号を決定する段になって会議が開かれたであろうことは想像に難くない。2323を思い付いた社員は報酬の一つももらったんじゃないか。「まあ温泉でも行って来なさい」とか言われて。2323を思い付いて温泉旅行。2323温泉旅行。

彼の社内でのあだ名はもちろん2323だ。「オイ2323、ちょっと焼きそばパン買って来て」なんて昼休みはパシらされたりして。きっと2323は2323を思い付いた以外は大した働きも出来ないようなダメ男で、昼休みは屋上の隅にある錆びたベンチが指定席である。抜けるような青空の下、ふと「死にてーな」なんて呟いた後で「イヤイヤ俺は2323を思い付いた男。発想力なら誰にも負けやしねー」などと思い直したりもするわけだが、彼が悲劇的なのは2323を思い付いたのは万に一つの偶然に過ぎず、彼の発想力が秘める可能性はそこに遥かに及ばないものであるという事実に気付いていないということである。

彼はもう二度と2323温泉旅行に出掛けることはないだろう。
妻もいつしかテレビコマーシャルで ♪アートネイチャー2323 という曲が流れると無言でチャンネルを変えるようになった。長年連れ添った彼女は2323の苦しみが痛いほどよくわかっているのである。
むしろ2323の理解者は今や世界で彼女一人だけと言って良いのかもしれない。

それはそれで美しいではないか。




17 今日もごはんに肉が乗る 2002/10/23 02:19

2,3年前ひどい不眠症に陥っていたことがある。

毎晩まんじりともせず夜が明けていくのをただやり過ごし、空気が凛と張り詰めたマンションの屋上に上り、日の出と共に輝き始める雲の様子を写真に撮ったりして一通り徹夜明け気分を満喫した後、めざましテレビなんかの芸能ニュースを見ながら「何見てんだ俺、ほんとバカだ」とか考えて泣きそうな気持ちになりながらようやく眠りに落ちる、という日々を繰り返していた。

だから僕は一時期芸能情報に異常に詳しかった。

小泉孝太郎の登場など息を飲んで見守ったものだ。
「つ…遂に出たッ!」って感じで。「自己紹介すら棒読みかよ!」みたいな。

そんな眠れない毎日を過ごす人間にいつだって優しいのはコンビニと牛丼屋である。

時は深夜だか早朝だか分からん4時頃だ。僕はいつものように眠れず、おまけに腹も減り始めていた。「チクショー何が哀しゅうてこんな時間に外に出にゃならんのだ」と半ベソかきながら僕はチャリで10分くらいのところにある吉野家に向かう。

街はまだ夜の続きでしんと静まり返っており、車がいない大通りの信号機のグリーンの灯が遥か遠くまで延々と連なっている中を僕は独りで自転車をこいで行く。朝の空気は頬にひんやりと冷たく、そして驚くほど瑞々しい。僕は明らかに生体リズムが狂ってしまっている二つの肺にその新鮮な空気を思い切り吸い込み、体の隅々まで冷えた酸素が行き渡るのを感じる。

馴染みのオレンジの看板と明るく照らされた店内が見えて来る。まだ薄暗い街の中にあってそれはまるで奇跡のように輝いている。

こんな時間に入っても店員は「何やってんだ寝てろよバカヤロウ」と思っても決して口には出さず「いらっしゃいませ!」と明るく迎えてくれる。不眠症で所在無くやって来た僕はその声で涙が零れそうになる。

牛丼はいつも温かく、平均的に美味く、そして圧倒的にジャンクだ。僕は牛丼を食いながら無性に切なく、それと同時に何か温かい気持ちになっていくのを感じる。こんな時間に僕に牛丼を作ってくれた店員のことを思う。

見ると店員が僕を見て微笑んでいる。

「いいんだ。それでいいんだよクロカワ君。君は何も間違っちゃいない」


不眠症が治った今も時々僕は思い出す。あの時僕を温かく迎えてくれた牛丼屋を。輝く朝陽を。数々の芸能ニュースを。




16 袋の方よろしかったですか? 2002/10/21 19:05

わざわざ名前を出すことはなかったなーと前回書いたことに関してひどく反省している。読んだ人はあれは仮名だったということにしておいて下さいヨロシク。ちなみにドアに掛かっていた紙袋はいつの間にか無くなっていましたのでみなさんご安心を。誰も心配なんかしちゃいねーでしょうが。

過去形で質問されることについて考えてみたい。

癪に障るが今回もコンビニを例にとってみようかファック。

買う商品が一個だけだったりした場合に「このままでよろしかったですか?」と店員に言われたことがある人は多いと思う。何故ここで唐突に過去形の問いが出てくるのかが僕には解せない。

一度思考をフラットな状態にしてみよう。

あなたはコンビニ店員だ。レジにガムを一個握り締めた客がやって来る。バーコードをスキャンした後、客に「袋いらねーよな?」という
趣旨の事を丁寧に訊く。さあ何と言う?

「このままでよろしいですか?」

これだ。

普通に考えたらこれ以外にあり得ないはずではないか。なのに何故「よろしかったですか?」という一見ひどく丁寧なのだが、よく考えるとどうも妙チキリンな言葉遣いが幅を利かせているのだろうか。

声に出して読みたい日本語。

―おっと変なことを口走っちまった。落ち着け俺。

しかし「よろしかったですか?」という接客用語は口に心地良い言葉であることは確かだ。あと「〜の方」ってヤツね。「お箸の方お付けしますか?」という感じでつい言ってしまうんだよね。僕は気持ち悪いので意図的に言わないようにしてるけども、言ったら言ったで自分が丁寧な接客を間違いなく遂行しているかのような錯覚に陥ることが出来るという意味で禁断の甘い果実的な接客用語であると言えよう。

だから僕はバカ丁寧な言葉遣いに頼る口先だけの接客に陥ることのないよう、「言葉は二流、態度は一流」を目標にこれからも頑張りたいと思う。

もちろん嘘だ。




15 隣のサイコさん 2002/10/20 14:50

前回はエラソーに「お前ら」とか書いてすみませんでした。コンビニについて書こうとすると、自分でも気付かないうちに「対・客」モードに意識がシフト・オンしてしまうようです。そうです。我々コンビニ店員は客のことを人間だとは思っていません。そして客の方でも店員のことを自分と同じ人間であるとは認識していません。そこでは人間の尊厳を賭けた客VSバイトの闘いが日夜熱く、そして見た目は極めてクールに繰り広げられておるのであります。負けねーぞ。

さて今回は僕の隣人について書こうと思う。

僕が現在住んでいるアパートは三階建てで部屋数が全部で五つという小さなものである。一階に一部屋、二階三階にそれぞれ二部屋ずつという構成で、二階三階の二部屋はドアが向き合って付いておるので、お隣さんであると同時にお向かいさんでもあるという構造になっている。

で、僕のお隣さん兼お向かいさんは佐伯さんという女の人だ。年は僕と同じ二十代前半くらいで特にカワイクはないがオシャレな人である。一応触れておくと、そのオシャレとは神戸的なものではなく下北的なものである。適当。

で、その佐伯さんがある一点に於いてのみちょっとオカシイのだ。何なら気が狂っていると言い換えてもいい。(いいのか?)

それは戸締り確認である。

初めてそれに遭遇した時は一体何が起こっているのか見当も付かなかった。

鍵を掛けたドアをひたすらガンガンと動かし続けるのである。

まあ普通の場合に於いても鍵が掛かったか確認する為に、2,3度ガタガタとドアを揺するぐらいのことは誰だってすると思う。僕だってする。

しかし佐伯は確認の度合いが半端ではないのだ。

少なくとも20秒近くはひたすらドアを揺すり続けるのである。

20秒と聞いて「大した長さじゃねー」と思った人は試しに今から20秒数えてみるといい。

ヨーイ始め。

…(中略)…

ハイ終り。

こんだけの時間、ずっとガンガンガンガンドアを揺すり続けるのである!

初めてその事態に遭遇した時、僕はその異様な迫力に気圧されながらも恐る恐る覗き穴から佐伯の様子を伺ってみたのだが、彼女はただ無表情にひたすらドアを揺すっているだけなのである。サイコ。

これが毎日繰り返される。

ぶっちゃけ、もう慣れた。

その音で「うーんもう活動時間か」と目覚める日もある。


が、ここに来て今どう対応していいのか分かりかねる事態に直面している。

この二日間、佐伯のドアに紙袋入りの荷物が三つ掛けられたままになっているのだ。

その荷物を彼女が自分で掛けるところを僕は覗き穴から見ていた。と言うのもその日はあまりに長いことドアの外でゴソゴソゴソゴソしているので「何だ何だ」と様子を伺っていたのである。

佐伯はドアに荷物を掛けて何処かへ出掛けてしまった。

二日間放置である。

袋のうちの一つが透明なのも何かイヤだ。で、「302佐伯」と書かれた紙切れがその透明な袋には入っており、外から見えるようになっている。このアパートで最上階の三階まで上って来るのは住人の佐伯と僕だけである。

僕に対してのメッセージか?

怖い。

ちょっと急いでいるので中途半端なまま終わります。

では。




14 お前はそこで乾いてゆけ 2002/10/18 12:07

もう昼前だが言ってしまおう書いてしまおう。

あー早起きした。

最近の僕のヒマっぷり、やること無さっぷりは特筆に価する。

―嘘だ。値するワケがない。バカが。

ところで我々は「飲料を飲む」という行為についてそろそろ真剣に考えなければならない。

糞コンビニでバイトを始めてずいぶん経つが、ペットボトルのジュースの売れ具合には心底うんざりする。どいつもこいつもコンビニに入ったらまずジュースを買おうとしやがる。店側も自分たちの主力商品がドリンク類であることは当然承知しているので、ドリンクの補充や新商品の導入には非常に力を入れている。

お前たちは本当に喉が渇いておるのかと問いたい。

一般的に大人が一日に必要な水分は2000〜2500mlであるとされている。そのうち飲料からの摂取量の目安は800〜1300mlなのだそうだ。大丈夫か?何の考えもなしにペットボトルをガバガバ飲んでよ?お前ら水分過剰なんじゃねーの?

まあこれはドリンクの補充が面倒臭いコンビニ店員の歪んだ見方に過ぎないのかもしれない。そうだよ。面倒臭いんだよ。「とりあえずビール!」みたいなノリでジュース買うな。アホか。

これに限らず我々は何の考えもなしに飲料を飲み過ぎてはいないか?

「HEYネエチャン、茶でも飲みに行きませんか」

これに答えて「喉渇いてませんから」と断るのはアリか?そこらへんをハッキリさせておいた方が良い。

マンガ喫茶とかに僕が違和感を感じるのはそのせいだ。大体に於いて人がマンガ喫茶に行く理由はマンガを読みたいからだ。でもそこには無条件に「喫茶」が付いてくる。いらねーよお前。喉が渇いたら勝手に注文するから強要すんなよ水分補給をよ。カラオケ屋もそうだ。シレッとした顔で店員は言うだろう。「ワンドリンクです」と。

我々は気を抜くと水分を補給してしまう。つい過剰に。

人と会う時、とりあえず何も考えず喫茶店あたりで待ち合わせたりはしていないか?そしてとりあえずコーヒーなんかを注文したりしていないか?その時お前は本当にそれが飲みたいのか?本当に喉が渇いているのか?手持ち無沙汰になったからといってテーブルの上にある水をひっきりなしに口にしてはいないか?今一度自問してみるべきだろう。人間、そんなに喉が渇いておるはずがないのだ。

何が言いたいのかというと、ウチのコンビニでジュースを買うのはよせ、ということでした。

糖尿病になるよ。




13 無駄のない人生とは脂身のない肉のようだ 2002/10/16 17:29

イヤー参った。

 さっきものすごく長い文章を書き込んだんだけど、アップされたのを見ると些細な誤字があったので、初めて「削除」を発動させてみたのだ。あまり深くは考えてはいなかったわけだが―

 …当然の如く全文が消えてしまった。

 もう一度同じ文章を書こうとしたが、憶えてないとか言う以前に僕は同じ文章を二回以上書くということが何よりも嫌いなので、一行書いてやめた。

 というわけで実は途方に暮れているのだが。

 そんな雰囲気は微塵も感じさせず、ただ前を見詰める。それが俺。

 決して振り返らない。

 牛丼よりは天丼が好き。

 ★何故って肉の脂身がキライだから。

 トンカツはロースよりもヒレが好き。

 ★繰り返し

 ステーキだってヒレが好き。

 ★繰り返し×2

 無意識に歌を作ってしまった。珠玉のメロディと共に。

 詩とメロディが同時に浮かんで来る男だ俺は。

 倒置法を使いまくると文章がややこしく、読み難くなる。

 この星で一等賞になりたいの!俺は!卓球で!そんだけ!

 おいおい何を言ってるんだペコ。







11 NO MORE マッソー 2002/10/09 19:17

 前々から気になっていたことがある。

 僕は相当なマッチョイズムに冒されているのではないかということである。

 それは僕の所持しているCDや本の殆ど全てが男の手によるものだということに由来する恐怖感だ。

 今チラッとCD棚を見てみたのだが、やはり男性アーティストばかり並んでおり、辛うじてそこに混ざり込んでいるのがセンチメンタルバスくらいだというアリサマだ。ちなみにセンチメンタルバスは世間では一発屋ということで片がついているようだが、僕はかなり好きだったし、むしろ今も好きだ。一度ライブに行ったことすらある。もっと言えばTシャツも持ってる。ライブでは意外なことにボーカルのナツという女の子(激キュート)よりも片割れのアキノリという男(テレビではよくピアノに乗っかったりしてたアイツ)の方が人気で、「アキノリー!」という客の怒号が響き渡っていたのが非常に印象的だった。

 話が逸れた。

 さらに本棚もパッと見たところ、女性の作家なりマンガ家の本が殆ど見当たらない。97%くらいが男本(おとこぼん)だ。何てことだ。それの意味するところは、僕の思考回路が男の言説によってのみ形成され、そして現在進行形で日々補強されているという事実である。

 女心って理解出来ないよね。

 そんな陳腐な言い回しすら使ってみたくもなる。MADE BY 男 しか消費していないのだから、当然だ。今切実に MADE BY 女 が欲しい。

 松浦亜弥。

 騙されてはいけない。あれは MADE BY つんく♂ だ。あのへんは全部そうだ。

 何でかなー。別に「男性が好き」ってわけでもないんだけどなー。で今ふと思ったのだが、これは突き詰めて考えると、もしかしてとんでもない深層心理に行き着いてしまうのではないだろうか。深く考えるのはよそう。

 …あった!

 よく見ると本棚の片隅にナンシー関の本が結構たくさんあるではないか!ヨカッタ!ありがとうナンシー。僕と女心との架け橋は絶たれてはいなかった。

 ナンシーによって媒介される僕と女心。何処へ行く。

10-1 >

ページトップ >

レンサイINDEX >

HOME >


Copyright(C)otosata.com 使われている全てのテキスト、画像は無断転用禁止です。