このインタビューは、タブロイドマガジン「GOZANS Magazine」でオトサタドットコムがプロデュースするページ「オトサタペーパー」に掲載されたものです。

Vol.4
「GOZANS Magazine」Vol.4掲載 2002.4.1


 例えばくるりのように大学のサークルで結成されたバンドの活躍であったり、数年前の 京大吉田寮食堂ライブの盛り上がりであったり、そもそも京大西部講堂なんていうアングラの伝統みたいなのもあったりして、京都の音楽シーンと大学生は分かちがたく結びついている。特にここ数年語られてきた”京都系”なる言葉は、ほぼ大学を中心としたバンドのことを指してきたように思う。
 ところが、そんな大学生たちの音楽シーンとは別のところでジワジワと活動を続け、アジアにまで活動の幅を広げているバンドが京都にいる。
 96年冬に結成された融点は、当初スリーピースのロックバンドだったが、メンバーが増えるたびに音楽性が変化。ブリティッシュ・トラッドからニューオリンズファンク、ソウルという変遷の末、 それらの音楽をゴッタ混ぜにした独自のファンクミュージックに辿り付いた。「ジャンルは何?」と尋ねると、「俺が作る音楽全てがアジアンファンク」と豪語するリーダーでギター・ボーカルの庄子薫と 結成時からの中心メンバーのベーシスト池添鉄平に話を聞いた。

「香港の”はっぴいえんど”になる」

○1月の香港・中国ツアーは好評だったそうで
庄子薫(以下:薫) 香港も中国もオリジナルをやってるバンドっておらんのよね。そんなところに俺らが行ったから、びっくりしてたね。踊ってたね。熱狂的になりすぎて俺にケンカ売る奴とかもいて、殴られかけたり。
○なんで?
 いや、わからん(笑)北京語でまくしたてられたんで。 衣装があまりにも個性的なもんで、怒ったんかなと思うんやけど。ヤクザみたいなやつが、ずーっと俺にどなりつけてて。これはヤバイと思ったから、ずーと笑顔で「シェーシェー、シェーシェー」言ってたもん(笑)
池添鉄平(以下:鉄)やってておもしろかったですよ。よっぱらいのオッチャンとか前に出てきて、タコおどりしてて。ああどこにもこんなおっさんおるんやなと(笑)
 言葉が通じなくても、おたがい仲良くなりたいなあというのがひしひしと。なあ。
○向こうのバンドはどんな感じでしたか?
 向こうはオリジナルをやってバンドが売れてく土壌がないねん。どこの事務所もバンドを抱えてなくて、みんな俳優か歌手。
 バンドは全部コピーらしい。ポリスとかボブディラン、カーディガンズとか。
 向こうのバンドは、テクニックはむちゃくちゃ上手いけど、バンドサウンドになってない。絡み合ってないです。そこをバンドで僕等がみせたのは大きいな。
○今後もアジアでライブをしていきたい?
 やりたいねえ。お金がある限り。中国は、まだロックを聞いてる若者がおるけど、香港は俺らみたいなのがないみたい。音楽やりたい奴は海外に行くから香港では(ロックが)根付いてない。だから、俺らは香港の”はっぴいえんど”になろうと思って。香港のロック黎明期を俺らが作ろうと思ってんねんけど。広東語で曲を作って、ヒットを飛ばして。
 そこまで俺は思ってない(笑)アジアでライブするのは楽しいけど、香港をどうしようとかは思ってない。
 俺は思ってるよ!

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