「バンドでやったら上手いねん」○融点のメンバーはどうやって集まったんですか?
「独自で築いたマーケット」○融点は”京都系”と言われるところとは別のところから出てきた感じがしますが薫 京都っぽいとは思ってるよ、自分では。仙台にいる時から拾得・磔磔とかをガイドブックで見て、憂歌団とかボガンボスがやってたとこやってのを知ってたからね。 でも京都って大学ごとにできあがってる部分って多くないすか?俺ら大学行ってないもんで、その辺のつながりが全然なくて、友達がいーひんのよ。仲良くなりたいんやけど、なれへんのよな。 鉄 でもライブしながら、だいぶ友達は増えたな。こないだも(対バンした)ドラヒップと友達になれてよかったよね。 薫 俺らは独自でやってきた感があるな。すごく。融点がワンマンのイベントをしたときにお客さんがいっぱい入ったんよね。で、それを見た他のバンドの人が「いいなー。融点の客層って、OLの若い子がいっぱいやん」って言うのよ。だけど、それは俺らが独自で築いたマーケットやもんな。 ○そのお客さんはどうやってつかんでくるの? 薫 営業。ほんまに営業やな。とりあえず、どんな条件悪くても、いろんなとこに出たのね。京大吉田寮とかに行ったらアーティストっぽい人がいるやん。俺らアーティストじゃないと思ってるから、商店街のイベントから高校生のバンドコンテストとかいっぱい行ったよね。 鉄 ゲームセンターの営業とか(笑) 薫 そういうところから一般人をライブハウスに連れこんできたよね。一般人も知らんだけで、絶対面白い音楽やったら好きやからな。知らんだけやもん。ヒットチャートに載ってる音楽しか知らん人ばっかり。知らないのは悪くないけど、こういう音楽ありますよって提示するのは、こっち側の人間やんか。それをやらん人が多いんちゃうかな、って。だから営業って大事やと思う。 ○海外も独自で切り開いてますよね 薫 インターネットで全世界のラジオ局から音楽プロダクションから全部調べて、俺らのCDを片っ端から送ってやったんよ。それで引っかかってきたのが香港とニューヨーク。ニューヨークのカレッジチャートにも俺ら1週だけランクインしてたもん。香港でも、香港の音楽事情を憂いている人がいて、ライブやるんならどうですかって。それが1月のライブにつながったんやもんな。 だから、ええ音楽だけやってたらええ、ってやってるのは間違ってると思うねん。そんな分かってくれる人間だけで傷舐めあっててもしょうがないと思うからね。知らん人に聞かせるのも役目やん。上に行きたいのなら…俺らも行ってないけど、そういうことは、せないかんと俺は思ってる。 こういうバンドこそ真の意味でインディーズと言うべきだと思う。京都でも、アジアでも自分たちで一から道筋を作ってきた。最近は、言葉がなくてもいい映画音楽にも興味があるそうだ。ぜひ、言葉の壁を超えてアジアに名前を轟かせて欲しい。 interview:イトウタケシ |
融点 |
仙台から京都に出てきた庄子薫のバンドメンバー募集に池添鉄平が応募してきたのをきっかけに結成される。幾度のメンバーチェンジとともに、60年代ロック、ブリティッシュトラッド、ニューオリンズR&B、ファンクとさまざまな音楽を雑多に取り込んだ音楽性が磨かれて行く。2002年秋、庄子一人となり現在新たな形態を模索中。(インタビューは2002年2月) 京ロックバンド融点official homepage http://www.d9.dion.ne.jp/~asia90/index.htm |
★ページトップに戻る |
★OTOSATA PAPER INDEX |
★H O M E |