Far East Jungle&
オトサタドットコム presents


2001.6.29 於 拾得


プロローグ
 いつもと変わらぬ春の日の午後だった。鴨川沿いに等間隔に座るカップルたち。その群れの中に僕と伊藤さんはいた。「鴨川に行こうぜ」誘ったのは伊藤さんだ。三条のスタバでキャラメルマキアートを買い込み、2人で鴨川べりに腰掛け、時の経つのも忘れて語り合った。田島寧子のこと、A.Iのこと、小泉総理のこと、田島寧子のこと、マチャアキの元妻のこと、華原朋美のこと、田島寧子のこと、フレッドペリーのポロシャツのこと、そしてティム・バートン版の猿の惑星のこと… 「俺、拾得でイベントをやろうと思ってるんだ…」会話が途切れてしばらくの沈黙の後、川に石を投げながら伊藤さんが言った。「ははは。ナニ夢みたいなこと言ってんだよパンチョリーナ(伊藤)」僕は笑った。そう、あの日僕は笑ったんだ…

 6月末、拾得。僕が笑い飛ばした伊藤さんの妄想は現実のものとなって僕の目の前にその姿を現した。オトサタ主催ライブイベント「うたゴコロ」である。笑って相手にしなかった手前虫の居所の悪い僕は、こっそり拾得に忍び込み物陰からこのイベントを観察して、罵詈雑言に満ち溢れた怪文書をKBS京都伊藤宛に送りつけてやることにした。

 拾得名物のつけものピラフを頬ばっているとまずはトップバッターのべートルズ登場。なんてふざけた名前だ!ビートルズなのかベートーベンなのか!と憤りのあまりつけものピラフを口から噴射しながら観戦していると意に反して次第に僕はなんだかほっこりした気分になってきた。携帯のライトをペンライト代わりにして曲に合わせて振る客たち。それに応えるようににこにこしながらギター1本で歌を歌うべーちゃん。ひたすら「ごめんなさい」と謝り続ける変な曲もあり、僕はそれを聴きながらREMの「アイムソーリー」と言い続ける曲を思い出し、その時空を超えた共振性に心底震え上がったものだった。これはとんでもないイベントかもしれない… 僕は無い襟を正し、椅子にきちんと座り直し、そして背筋をピンと伸ばしたのだった。



 続いて出てきたのははじめにきよし。根拠はないが松竹のベテラン漫才師(落ち目)のような名前だと思ったのは僕だけではあるまい。2人のアコギとピアニカで奏でられる日本人の心の原風景のような優しい曲たち。それは例えるなら会社でボロボロになるまで働いて、帰り道、線路際に大きな夕陽を見て昔を思い涙ぐむサラリーマンたちのような曲だ。(どさくさに紛れて適当な例えをしてやったぜ) 時折登場するのこぎりやピアノの哀しすぎる調べがサラリーマンの涙腺をますます刺激する。客席のあちこちからすすり泣く声が聞こえる。「お母さん…」そっと呟いてみた僕にきよしさんがステージからにっこり微笑みかけてくれた。

 ケチをつけようと潜り込んだ拾得で、僕はこのイベントにすっかり感化されつつあった。自分の非を認め、パンチョリーナ(伊藤)に土下座してでも許してもらおう、そんなことまで思い始めた僕にトドメを刺したのがトリの倉橋ヨエコだった。そこらへんをポテト食いながら歩いてそうな女の子、倉橋。しかし一度ピアノの前に座ると殺人的ジャズ(っぽい)シンガーに豹変してしまうのだ!なんてドラマチックなピアノを弾きやがるのだ!なんて大袈裟に歌を歌うのだ!こいつは大器だぜ倉橋ヨエコ。なのに何故そんなにおどおどしているのだ。もっと堂々と胸を張れ!街を闊歩しろ!僕は興奮して我を失い、気付いたらつけものピラフのスプーンを振り回しながらまわりの人に羽交い締めにされていた。

エピローグ
 「気が付いたかい?」目の前で伊藤さんが笑っていた。「君は倉橋ヨエコのライブが終わるなりスプーンを振り回しながらステージに向かって突進していったんだよ。胸を張れ倉橋〜!ってね」僕は恥ずかしかった。かつて伊藤さんを笑った自分が。そしてこんな形で再び顔を合わせることになった自分が。「パンチョリーナ(伊藤)、俺、俺…」伊藤さんは僕を手でそっと制し、こう言った。「うたゴコロは誰の胸にも分け隔てなく存在するんだ。ホラ、君の胸にも…」

>>Far East Jungleディレクター溝口順子はこう見た!



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