オトサタ連載


杉本キョウコ

(デジタル系エディター)

 第7回「エロティックな距離感〜融点」

 ゴザンスマガジンの音沙汰コーナーで紹介された「融点」が5月5日に高円寺でライブをするという話を聞きつけ、てくてく隣町まで行ってまいりました。相変わらず、東京ではろくにライブハウスに行っていません。たまに連れていってもらうと、妙にオサレなところだったりして、なんというかブワワーンとグルービーな楽しみを得ることができなかったりして、ちょっぴり不満だったり→あまり行かなくなるというところ。

 期待通り、予想通りのライブが見れました。京都の町がそのまま音に含まれてしまうのかなぁ、と思いました。smell氏はダジャレを連発し、音がうねってお客さんも大喜び。「関西のバンドっていいね!」なんていう声が客間から聞こえたりすると「そうでしょうそうでしょう」と思ったりして。

 京都のバンドの音は、直感的に言ってしまうと「近い」と思います。それはゴールデンウィークに京都に帰った時に、町を歩いていて感じる「近い」という感覚と同じもの。京都に帰るとつくづく思うのは、町に匂いがあり、音があり、色があり、温もりや冷たさがあるということ。東京にいると、こんなことを全部忘れてしまっていたんだな、と気付きます。土の匂い、緑の匂い、山の青さ、水の青さ、人の気配、風の音、水の音、人の声、京都には全部近くにある。それが京都の息苦しさでもあり、心地よさでもあり、離れがたさでもあるんでしょう?

 京都に帰ると、顔の筋肉がふっとゆるんで景色に溶け込んでいっちゃう。東京では景色に屹立して立っていなくちゃいけないって思っているんだなぁと。だって周りには建物と電車と高速道路しか見えないんだもの、関東平野は広すぎるわ。ずいぶん東京には慣れたけれど、京都に帰るとやっぱりあかんわぁ…。でも、京都は自分ひとりの仕事をしたい時にはつらいんよねぇ…。というような話を、都落ちした東京在住者は語り合ってしまうわけですが。

えーと、閑話休題。

 喫茶店の女の子がとても「近い」距離から笑顔で話し掛けてきて、私もその距離にすぐ入っていける。そんな距離感が、京都の音の泥臭さなんだけど、そもそも音は人の中に深く入ってくるものだし、そんな風に生々しいのがまた良かったりもします。そう、京都の音は相変わらずエロティックでしたよ。それではね。



杉本 キョウコ

デジタル系エディター。1990年代の多くを京都(とくに同志社大学アーモスト寮)で過ごす。昨年春、ネット系企業への転職と共に東京へ移住。
現在はライティングスペース社員として、タブロイドマガジン「GOZANSmagazine」制作に大わらわの日々。

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