オトサタ連載


杉本キョウコ

(デジタル系エディター)

 第 5 回「オメデタクモアリガタイ〜東西寺社事情」

七月に中央線の荻窪に引越しした。荻窪には「光明院(別名萩寺)」と書かれ たお寺があって、しじゅう人々がこのお寺に入っていく。人気のある寺なのか と思えば、何のことはない、駅の西側に住む人たちの近道になっているのだっ た。なんでも住人がどんどん通り抜けるから、葬式もお通夜もダイナシになる のに困ったお寺さんが「ここなら通っていいから」と寺の外側に歩道を作って くれたそうな。萩の小道と名づけられた歩道の周りには四季折々の花が植えて あって、とてもかわいらしい。「通るな」じゃなくて「こっち通って」の対応 が、エラソウじゃなくてホノボノする。ちなみに寺の看板に「荻窪の名前の由 来」と書いてあるけれど、まだ能書きを読まないからどういう由来なのかはよ く知らない。実はエライお寺さんなんやろか?

京都といえばお寺、神社である。平安神宮や八坂神社、金閣寺・銀閣寺のよう な横綱クラスから、普通の家みたいなお寺さん、児童遊園のような神社までそ こら中にあって、これらの寺社仏閣で行われるオマツリが一年のカレンダーに 余るらしい。お寺や神社といえば、なんというかいかめしい場所のように思え るけれど、これが一年に休むことなくオマツリを営んでくれるのだからヘンな 気がする。ヘンな気がするけれど、きっとなにかオメデタイ場所なんだろうな ーと思う。京都のお寺も歴史を背負いつつ、実はちょっと楽しんでるんじゃな いかな。

京都の寺のお坊さんたちには少々毛色変わった人たちがいて、ヨガのワークシ ョップをしてくれたり、中にはロック坊主の異名をとる人もいたりする。こん な広いお堂なんて扱いきれないや、と遊び場に変えてしまおうと思っている人 たちもいるとか、いないとか。神社だって負けていない。天神さん・弘法さん が代表する「市」の立つ場所として、今もたくさんの人が親しくそこへ足を運 んでいる。天神さんや弘法さんへ出かけて楽しさは、そこに並んでいる品物を 見ることだけではなく、そこで誰かに出くわすことにもある。京都の神社・お 寺は今も人の交通=コミュニケーションのなかにきっちり存在している。

ところで先日、わが萩寺の萩の小道で19とかにいかれちゃった風の若者二人 が、深夜のお寺で練習中なのに出くわした。めちゃくちゃヘタッピである。通 行だけじゃなくこんな騒音さえ許してくれるなんて、つくづく寛容なお寺さん だと感心してたらこんな歌詞が耳に飛び込んでくる。

「友達ってサイコー!よかったーきみと出会えてよかったー♪」

友達サイコーのわりには、相手を無視することはなはだしい。ギターが息切れ てついていけなくなっても歌だけで暴走。うっかり観客にされた私と小道のお 地蔵さんは顔を見合わせてニヤリと笑った。ガンバレ若者、しっかり練習する んやで。



杉本 キョウコ

デジタル系エディター。1990年代の多くを京都(とくに同志社大学アーモスト寮)で過ごす。昨年春、ネット系企業への転職と共に東京へ移住。
現在はライティングスペース社員として、タブロイドマガジン「Writing Space」制作に大わらわの日々。

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