桜が散りました。 私は、ソメイヨシノが大好きだ。花という花が枝を覆い尽くして、木がそのま ま花になる。ちょっと前までは、あざとさが目につく気がして、あまり好きで はなく、むしろ控えめな梅や山桜の様子の方が好ましかった。 でもどうだろう?あれだけ全身で咲きみだれる木は他にちょっとない。あれは 凄いのだ。凄いものには圧倒されたいと思う。 坂口安吾の「夜長姫と耳男」という小説が好きだ。夜長姫はかわいらしくうつ くしく、まるでケガレを知らずに微笑み、ばっさり耳男の耳を切り落としてし まう。耳男は蛇の血を飲み、蛇の死体をぶらさげた小屋で一心不乱にヒメの笑 顔と闘って、依頼されたミロクボサツの代わりに、恐ろしいバケモノを彫り付 ける…。ソメイヨシノを見ると、ヒメの笑顔に負けないように一心にバケモノ を彫り続けた耳男の心境だ。勝てないと、桜を書けないだろうし、桜の謎が解 けないような気がしてしまう。それにしても、なぜ桜の謎を追いかけるのだろ う?桜があでやかに咲き誇る夜、桜しか見えない光景の下を歩き、桜の花びら がはらはらと降りかかる木の根元で、花びらにうずもれたいと思う。ゾッとす るようなつめたい、やわらかい、うつくしい場所に横たわりたいと思う。 なんて気持ちのいい想像!ほんとに寝転がったら寒くてがたがた震えるんだろ うなー。でもガタガタ震えててもうっとりできたらすごいなー。 夜長姫は最期に「好きなものは咒うか殺すか争うかしなければならないのよ。 お前のミロクがだめなのもそのせいだし、お前のバケモノがすばらしいのもそ のためなのよ」と言う。そのとき私は21歳。この言葉に圧倒され、この言葉 をしっかりと胸にやきつけてしまった。そのとき「これは愛だ」と思った。 勢いにまかせて、それで納得して今まで来ちゃったけど、やっぱり今でも愛だ と思う。「愛」というよりは、「愛する」という動詞かもしれない。 梶井基次郎の「桜の木の下には」も、同じく坂口安吾の「桜の森の満開の下」 も、どこか薄暗く、不気味で妖艶な文章だ。どちらも、耳男の心境でミロクを 描けず、バケモノを一心不乱に描いたんだと思う。 そして、私が京都について何かを書くときは、遠く同じ思いを抱いているのだ。 |
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デジタル系エディター。1990年代の多くを京都(とくに同志社大学アーモスト寮)で過ごす。昨年春、ネット系企業への転職と共に東京へ移住。 現在はライティングスペース社員として、メールマガジンがもっと自由になるサイト「ゴザンス」http://www.gozans.comのスタッフとして奔走中。 |
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