オトサタ連載


杉本キョウコ

(デジタル系エディター)

 第 3 回「桜の誘惑」

桜が散りました。
ようやくほっと胸をなでおろす気分だ。桜が咲いている間は、何かを書こうと するとどこから書いていいのかわからなくて困ってしまう。私は大がつく桜好 きで、花見の場所選びに余念がない。そしてあせっているわりには、大切なお 花見日和の週末を寝過ごしていたりする。もちろん今年も、どこかにお花見を しにでかけることができなかった。また来年、だ。

私は、ソメイヨシノが大好きだ。花という花が枝を覆い尽くして、木がそのま ま花になる。ちょっと前までは、あざとさが目につく気がして、あまり好きで はなく、むしろ控えめな梅や山桜の様子の方が好ましかった。 でもどうだろう?あれだけ全身で咲きみだれる木は他にちょっとない。あれは 凄いのだ。凄いものには圧倒されたいと思う。

坂口安吾の「夜長姫と耳男」という小説が好きだ。夜長姫はかわいらしくうつ くしく、まるでケガレを知らずに微笑み、ばっさり耳男の耳を切り落としてし まう。耳男は蛇の血を飲み、蛇の死体をぶらさげた小屋で一心不乱にヒメの笑 顔と闘って、依頼されたミロクボサツの代わりに、恐ろしいバケモノを彫り付 ける…。ソメイヨシノを見ると、ヒメの笑顔に負けないように一心にバケモノ を彫り続けた耳男の心境だ。勝てないと、桜を書けないだろうし、桜の謎が解 けないような気がしてしまう。それにしても、なぜ桜の謎を追いかけるのだろ う?桜があでやかに咲き誇る夜、桜しか見えない光景の下を歩き、桜の花びら がはらはらと降りかかる木の根元で、花びらにうずもれたいと思う。ゾッとす るようなつめたい、やわらかい、うつくしい場所に横たわりたいと思う。 なんて気持ちのいい想像!ほんとに寝転がったら寒くてがたがた震えるんだろ うなー。でもガタガタ震えててもうっとりできたらすごいなー。

夜長姫は最期に「好きなものは咒うか殺すか争うかしなければならないのよ。 お前のミロクがだめなのもそのせいだし、お前のバケモノがすばらしいのもそ のためなのよ」と言う。そのとき私は21歳。この言葉に圧倒され、この言葉 をしっかりと胸にやきつけてしまった。そのとき「これは愛だ」と思った。 勢いにまかせて、それで納得して今まで来ちゃったけど、やっぱり今でも愛だ と思う。「愛」というよりは、「愛する」という動詞かもしれない。

梶井基次郎の「桜の木の下には」も、同じく坂口安吾の「桜の森の満開の下」 も、どこか薄暗く、不気味で妖艶な文章だ。どちらも、耳男の心境でミロクを 描けず、バケモノを一心不乱に描いたんだと思う。 そして、私が京都について何かを書くときは、遠く同じ思いを抱いているのだ。



杉本 キョウコ

デジタル系エディター。1990年代の多くを京都(とくに同志社大学アーモスト寮)で過ごす。昨年春、ネット系企業への転職と共に東京へ移住。
現在はライティングスペース社員として、メールマガジンがもっと自由になるサイト「ゴザンス」http://www.gozans.comのスタッフとして奔走中。

★ページトップに戻る ★連載目次 ★HOME