オトサタ連載


杉本キョウコ

(デジタル系エディター)

 第 2 回「歳をとるのはいいことだ「So What?」

 東京に来て約一年、渋谷中心の生活をしてきた。「渋谷中心って渋谷系?」とからかう友達の顔が浮かぶが、そんないいものじゃありません。初めはちょっと遅くなることもある仕事くらい、だんだん加速して「家に行ってきます」というくらい、最後になると家にはお風呂と着替えのためにしか帰らず、フロアに寝袋しいてグー。渋谷からタクシーで家に帰るのに、何時にどのルートで帰ると安くすむか、そういうことばかりに詳しくなった気がするが、まあそれだけいれば町の空気にもなじんでいくものだ。

 渋谷はヘンな町だ。渋谷駅は名前のとおり谷になった町の谷底にあり、どこへ行くにも坂を登っていく。去年の春にできたマークシティのエレベータを4階まで上って建物を通り抜けると、道玄坂のてっぺんあたりに到着する。若者の町と言うけれど、集まる人も若ければ、町も若い。古都京都というけれど、京都は老成した町だった。学生が多くて、毎年人が入れ替わるから文化的には新しい動きが出てきたりするけれど、スピードは常に一定してゆっくりしている。東京でも銀座や築地などは古くてゆっくりしていると思う。町の古さ、町の年齢の重ね方の違いは、町の速度の違いにそのまま直結しているみたいだ。

 京都に住んでいたときは、年齢を重ねることに対していわれのない不安を感じていた。学生から住み始めたせいなのかなと思うのだが、このまま歳を重ねてこのままずっとこの静かな町に暮らしていていいんかなぁ、と悩むのだ。年齢がかさむと何かの可能性が剥奪されていくような気がした。渋谷では、そんなこと考えるヒマもない。「だから何?」そんな感じだ。京都にいるときより、年齢について考えなくなったし、私自身も「だから何?」と思い始めている。それは住む町の違いだけではなく、くるくる目まぐるしいネットの世界に関わって生きているせいもあるのかもしれないけど。

 昨年末、新宿へ浅川マキを見に行った。世紀末五夜連続ライブの中日で、その日はピアノとオルガンだけがバックだった。半分くらいはアカペラだ。祈るように浅川マキの歌が空間に満ちていく。フリージャズのように、自由に歌が連なっていき、その中に彼女の経てきた年月が織り込まれていくように思えた。絶対に今の年齢の浅川マキにしか歌えない歌があり、それを私は聞いていた。ああ、歳をとっていくのはなんて美しいことなんだろう。今しか見えないものをじっと何見つめて、今だけできることを繰り返していたら、きっとこんなふうに歌ったり何かを作ったりできるようになるんやわ。歳を重ねていくことの可能性が初めて見えた。手のひらを返すようだが、私も早く歳をとり、はっきりした生になりたい。

「どこで暮らしても同じだろうと、私は思っているのさ」(浅川マキ:少年U)



杉本 キョウコ

デジタル系エディター。1990年代の多くを京都(とくに同志社大学アーモスト寮)で過ごす。昨年春、ネット系企業への転職と共に東京へ移住。
現在はライティングスペース社員として、メールマガジンがもっと自由になるサイト「ゴザンス」http://www.gozans.comのスタッフとして奔走中。

★ページトップに戻る ★連載目次 ★HOME