このインタビューは、タブロイドマガジン「GOZANS Magazine」でオトサタドットコムがプロデュースするページ「オトサタペーパー」に掲載されたものです。 | |
Vol.2 | |
「GOZANS Magazine」Vol.2掲載 2001.12.1 |
一度だけ京都のライブハウスで騒音寺のライブを見たことがある。その時の印象を一言で言うなら、「異形のバンド」である。イヤ、曲は王道のロックンロールなのだ。しかしこのバンドは他の数多のロックバンドとは何かが決定的に違う。それは何か。まずこのコンクリートde無味無臭時代にあって歌詞がむせるほどに泥臭い。「下宿ハウス・ロック」「南部薮医者唄」「ねずみ小僧の唄」… これらは騒音寺の数あるオリジナル曲の一部なのだが、これを見ると僕が彼らの歌を「泥臭い」と書く意味がなんとなくでも分かってもらえると思う。 そしてもうひとつ、忘れてはならないのはボーカル・ナベの尋常ではない存在感だ。彼は背が高い。多分190近くあるはずだ(←インタビューで聞き忘れた)が、ステージに立つと2メートルを越す大男に見える。僕はステージに背の高い人間がいると、それだけで相当な威圧感が生まれるということを騒音寺を見て初めて知った。しかもナベは背が高いだけではない。何故か目の下に黒い隈取りをしてステージに立つのである。意味は全くない。本人曰く「誰もやってなかったから」。そのせいでステージ上の彼はまるで歌舞伎役者のように見える。背の高い歌舞伎役者。背の高い歌舞伎役者の歌うロック。カブキロック?―It’s異形。 というわけで騒音寺ボーカル、ナベさんの登場です。 |
つづき>> ○騒音寺は見た者に強烈な印象を残す根っからのライブバンドですね ライブが主体。ライブがメイン。やっぱり音楽の世界の最前線やと思うねんな、ライブハウスって。うん。ラジオでもCDでもないねん。一番新しい、一番活気の溢れる、…CDはやっぱ段階踏んじゃうし、ラジオも加工されちゃってな、DJの喋りによって。やっぱライブハウスで生を見るのが一番音楽を楽しめる手段じゃないんすかねー。一番お客さんとも直に触れ合うわけやし。野次も飛んでくるし。西の岡山や博多行ったらすごいで野次。怖いもん。 ○いろんな所にライブに出かけている騒音寺ですが、本拠地である京都についてはどうですか? 京都はやっぱ落ち着くね。だって原チャリで行けるやん、ライブハウスに。それが一番。全員な、出不精なんや、ウチとこのバンド。それがアカンねやけどな(笑)ホンマに。そんで京都のバンドは閉鎖的や言われんねや。自分らでは閉鎖的やない思うんやけど。(メンバーに)『今度岡山やし』言うたら『あーそうかー(イヤそう)』みたいな(笑)。行ったら行ったでものすごい楽しいんやけどね。 ○野次も楽しい? 楽しい楽しい。そらもう若い16くらいのヤツから40くらいのおっちゃんまで来よるし。でも若いもんのために僕らもやってるし、10代が騒いで楽しめるようにやってるし。 ○10代に騒音寺のライブを見て欲しい? 見て欲しい。背伸びさせてあげたい。わしらがこう小学校の時に、高校生ドラマを見てドキドキしたような感じやな。それすごい背伸びになってるねん。だから、お客さんの目に合わせて、10代の目に合わせて曲を作るんじゃなくて、僕らが分かりやすいように僕らの世代の色々を歌で示してあげてそれをお客さんが背伸びして聞いて、後々『あーいいこと歌ってたんやなー。すごくいいバンドやった』っていうふうに言われる存在でありたいな。だから高校生に合わせてコンビニがケータイが言うてたらダメ。音楽じゃない。音楽は何かの価値がないといかんし。…呑むと喋るな(笑)わけわからんわ。でもホンマ常々そう思ってる。だからお客さんの目に合わせて歌ってるバンドはあんま好きじゃない。ステージ立つ以上はやっぱ先導者でもあるし説法師でないとアカンし、立つ以上は。特にボーカリストにはそう思うわ。ボーカリストはすごく責任があると思う。どのバンドも。ちょっと怖いもん見たさとかな、そういうのはすごく大事やと思う。特にもうロックンロールに関して言えばそう。演奏が上手いとかじゃない。もう1コ、もうプラスα。上手いのは絶対、必須条件で要るけど、もう1コ。それがすごく大事。下手でもダメやしね。ライブ見終わってから『良かった』でもいいし何かを感じて帰って欲しいね。それがちょっと背伸びしてる証拠。うん。 ○これからの騒音寺は? やっぱ新しいものを作っていきたい。自分の中でやけど。時代に合わせずに。例えば今の世相とか、まあ戦争やっとるけど、それに合わせた音作りとかはしたくないな。だから反戦も言わない。音楽は音楽で独立したものやから。いかんせん音楽なんか音を楽しむだけの、書いて字の通り、そんだけのもんやから。ちょっとは意味を持たせるけど基本は娯楽。ダンスミュージック。特にロックンロール。これから先ずっと音楽やるにしてもそれはずっと心の底に絶対ある。 ―後記― ステージを下りた素のナベさんは、初めてのインタビューでぎこちない質問ばかり繰り返す僕に「なんでも聞いていいよ」と優しく言ってくれたり、「ナベさんて呼んでいいですか?」と訊いたら「ナベでいいよ」と言ってくれるような気さくな人だった。そしてロックバンドとしてステージに立つということ、音楽をやるということに対して、非常に強い責任感を持っている人だった。騒音寺を見て「異形」だとか言うのは、彼らの表面を見て騒音寺を知ったような気になっているだけに過ぎない(←俺)。「騒音寺は京都が日本に誇る真のロックバンドだわさ…」と昨日寝言で僕の母親が泣きながら呟いていた。僕はそんな母にただ黙って布団を掛け直してやったのだった。グンナイマミー、愛してるよ interview:黒川裕生 |
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○騒音寺の結成はいつですか? 7年前。94年。その前はシュールズっていうバンドでリードギタリストやってて。たまに曲も歌ってたけど、そん時に歌いたいことアピールしたいことが徐々にずれてきて。で、別のバンドを組もうと思って騒音寺を作ってん。最初4人やったけど今は5人でやってる。ドラム・ベース・リードギター・リズムギター・ボーカルっていうローリングストーンズと同じ編成。 ○みなさんバンド以外に何かお仕事されてるんですか? やってるやってる。バンドで食えへんよ(笑)ロックじゃ絶っっ対食えん。ロックじゃ無理です。(自分も)ロックで食えてへんヤツの方が好きやしな。誰が言うたかな。『仕事にするのはいいけど職業にしたらあかん』とか言うて。それやしそんな食おうとは思ってないしなー。好きやしやめられへん、みたいな。 ○歌は非常に日本語詩にこだわっているという印象を受けますが 俺が騒音寺作った当時は日本語オンリーでロックをやるバンドはもう70年代に死に絶えていなくなっててん。日本語をきれいに聞かすバンドが全くおらんかったな。横文字混じりの日本語みたいな。全然ストレートに曲が聞こえてこないし、自分の思うことホンマにこいつら言ってんのかなとか、それはポーズでしかないんちゃうかって思って。俺は絶対そんなカッコ悪いことはせんぞ、好きな言葉で歌うぞって。騒音寺作った時にバンド名も漢字にしたっちゅうのもそういうこと。で、最初作った時はそれでずーっとやってたけどもそのうち段々それがこなれてきて、自然に出る横文字やったら別に使ってもいいかなって最近では横文字もちょろっと入ったりする。周りにそういうバンドも、また日本語ばっかりのバンドもまた多いじゃないですか、割と。そうなってくるとひねくれもんやから逆のことをまた模索したり。 ○ナベさんは目の下に何か塗ってステージに立ちますよね。あれはなんですか? あれはそうやるバンドがいないから(笑)。ただやっぱりステージ、お金払って来るねんから普段着のヤツとか見たくないやろ。俺はイヤやもん。お金払ってライブ見に行って、普段着で出て来られて普通にラブソング歌われても何も面白くないし。 ○ステージに立つからにはスター性みたいなもんが必要なんですか? やっぱり道化を演じるというか。スター性ではないな。道化を演じる方がいいな。確かに、あの化粧はわけわからんな。あんま深く考えたことないわ。 >>つづきへ |
騒音寺 |
70年代から脈々と続く京都”アングラ”(あえてこの言葉を使わせてもらう)シーンの正しい後継者。隣の兄ちゃん的ミュージシャンが増える中で、ステージ上だから成立するロックの夢を見せてくれる巨人・ナベさんは我らのスーパースターである。 騒音寺のホームページ"Cabaret SO-ON★G" http://members.tripod.co.jp/so_on_g/top.htm |
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