オトサタコラム
「京都における正しい音楽へのはまり方」



加藤 隆生
(ハラッパカラッパ)

初めてライブハウスに行ったとき、怖かった。

18才で場所は拾得。
もう入り口から怖い。あきらかになにか危険な門構え。
入ってみると暗い。いる人達もどこか怪しい。やけにちらちらみられてる気がする。
「歓迎されてないのかもしれない」そんな思いが心をよぎる。
入場料800円払う。
やけに立て付けの悪い椅子に座る。空気の密度が他とは違う。濃い。何かが濃い。頼んだのはビール。とにかくちょっとでも飲んで落ち着かないと。ステージを見ると、ものすごく近くにマイクが立ってるような気がする。
あっ。
ビールをこぼした。「すいませーん」店員を呼ぶ。
「ちっ」舌打ちされた。まさか。舌打ち?そんなばかな、おれは客だ。舌打ちなんかされるはずない。
愛想笑い。「へへ。すいません」
無視。
ああ無視された。やっぱりさっきのは舌打ちだったんだ。なんだ、おかしい。京都にもう何年も住んでるのに、ここの空気は理解できない。ああ、早く演奏が始まってくれたらいいのに。

演奏が始まった。聞いたこともないくらいへたくそな演奏。今までCDを聴くか、大きなコンサートしか行ったことがなかった。ものすごくひどい。
でも、なんだろう、かっこいいとは言いにくいけど、うーーん、ああ、かっこいい。そんなばかな。
「今日は7曲目が決まらなかったので、お客さんからリクエストしてもらおうかと思います」とステージの上のボーカリストが言った。  となり客がつぶやいた。「B.BLUE・・・」
僕はこおりついた。まさかリクエストしたのはあの、ボウイのB.BLUEなのか??  その言葉はステージには届かなかった。時間は何事もなかったかのように流れる。「じゃあ、リクエストに答えてやります。花とセロテープ。」
そして花とセロテープがはじまる。よい曲だ。隣の客がなぜかほくそえんでいる。
ライブが終わる。僕は席を立つ。ビール代を払って表に出る。

入ったときともうすでになにかが致命的に変わってしまっている。ある部分は損なわれてしまったし、ある部分は新しく誕生した。細胞のレベルで世界に対する色合いが変わった。僕は多分音楽をするだろうと、そのとき思った。限りなくナンセンスに僕は熱かった。

あれから8年たった。あの震えのようなものはまだ体の中にある。
京都はそんな物語が限りなくある町だと思う。

たぶん、拾得に入ったときにもう負けていた。あのとき感じた重さは、歴史の重さだったんじゃないかと今では思う。京都の持つ歴史に対する優越感と、そのライブハウスは綺麗にリンクする。
京都のミュージシャンは最初にその重さを感じることが出来る。音楽から漂う黒魔術的な魅力をひどく簡単に受け取ることが出来る。奇妙な伝説の数々をそこかしこで聞く。
拾得、磔磔、西部講堂、吉田寮、六角広場、RAG、木屋町の公衆便所、鴨川、先斗町。エピソードがこびりついて離れない。それが目に見えないほこりみたいに積もっていく。
音楽を宗教ととらえてしまう人が多い町。ビジネスとは考えられない人がものすごくたくさん住む町。
あまりにもたくさんそんな人間がいるから逆にそれで生計を立ててる人がいる町。

木屋町の公衆便所で歌ったことのあるやつは知っている。
拾得、磔磔の楽屋でまがまがしい冷たさにふれたことのある人は知っている。
加茂川の桜の下でギターを持ったことのある人は知っている。
音楽というひとつのジャンルに棲みついた黒っぽいしみが京都にはある。それは、当事者にしかわからない。

木屋町で死んだ弾き語りの男の伝説が、口伝えに人から人に流れていく。
うまく言えないけど、そういうところがいわゆる京都なんじゃないかな、と個人的には思う。



加藤 隆生
京都を中心に活躍するバンドハラッパカラッパのボーカル。作詞作曲も手がける。
常に聴くものの死角に向かう歌詞、リリカルかつノスタルジックなメロディーライン。 バンドのたたずまいは超時代的でどれもこれも紙一重だが、結果としてちょっといい感じ。まあ、こんな時代の隙間を抜けてブレイクとかして欲しい。できるもんなら。
HPアドレス  http://www5a.biglobe.ne.jp/~karappa/

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