オトサタインタビュー
「京都は全然カッコいい」


田中 知之
(Fantastic Plastic Machine)

Q.生まれはどちら?
堀川寺之内。すっごいローカルな話やね(笑)
Q.その後ずっと京都ですか?
大学まで京都で、大阪で就職したから大阪に何年か住んだけど、また戻ってきて結局33まで住んでました。就職は最初アパレルの企画部につとめて、その後「SAVVY」という雑誌の編集をやってました。
Q.音楽はいつから?
高校生のときからバンドやったりブラスバンド部に入って勉強したりしてて。大学のときはほとんど学校にいかずにバンドばっかりで、プロになろうと思ってました。僕はベースだったんですけど、ほんとにいまのFPMみたいなことをバンドでやってました。マーガリン・ストライクス・バックという名前で、ウーピーズでMOND GROSSOの大沢伸一君のバンドと対バンしたりしてました。
Q.その頃の京都の音楽シーンは?
80年代アタマから”京都ニューウエーブシーン”というカルチャーシーンがあったんですよ。東京より全然カッコいいバンドが京都にはいっぱいあって、それが東京の雑誌でも取り上げられてる時代でした。たぶん、沖野くん(KYOTO JAZZ MASSIVE)とか大沢君とか僕のの年代がそういうのを知ってる最後の世代かな。カフェバー・ブームみたいなんもあったけど(笑)。東京からもヤン富田さんのウォーター・メロンとかが京都にきて、京都のEP4みたいなバンドと京都会館別館で対バンしたりとかしてました。僕らはそういう状況を見ていて、「京都っていうのは音楽があって特別だ。東京よりめちゃめちゃ全然カッコいい。東京の音楽なんてダサい」と思って大きくなった最後の世代ですね。
Q.メトロでイベントするようになったのはいつから?
ロマンザという美容室の松山君とあと何人かでサウンド・イムポッシブルというチームを作って92年頃からパーティを始めました。そのころはまだグルーブ・クエストという名前だったグルービジョンズの伊藤弘さんと僕らで毎週木曜日にイベントやってたんですが、すごい突っ張ってやってましたね。「東京はどんな音楽やってるか知らんけど俺らはこうや!」みたいな。サバービアというのが東京にあるのもしらなかったんですが、サバービアの橋本君が僕らのレコードバックを見て、「こんなレアなレコードもってるのはNYのテイトウワさんだけだ」と驚いていたレコードが僕ら全員のレコードバックにあった、なんてこともありましたね。
Q.京都で育ったことが田中さんの音楽に影響してますか?
音楽的にどういう風な影響があったかはわからないけど、中学高校の時にローザルクセンブルグとか面白いバンドがいっぱい見れたし、「京都ニューウェーブシーン」の活動を見てきて、京都にいながら東京のアンチテーゼとして面白いことをやっていくという、刷り込みがいかされてると思います。
Q.活動の場が世界に広がった今、あらためて京都をどう思います?
やっぱりいいとこですよ。ゆるーいバイブがあると思うんで、竹村(延和)くんが京都で音楽つくってる気持ちもよくわかります。 パリが似てるとか言われるけど、京都みたいな街はないと思うよ。
Q.京都の中で好きな場所はありますか?
たまにお寺とか行くといいね。まえハゥイーBを金閣寺につれてったらすごい喜んでた。住んでるときは行かへんかったけど、離れてから行くと新鮮ですね。
   
インタビュー=イトウタケシ(オトサタドットコム)


田中 知之
97年ソロ・プロジェクト「ファンタスティック・プラスチック・マシーン」としてピチカート・ファイヴ小西康陽が主宰する”*********records,tokyo”よりデビュー。 ボサノバや映画音楽の影響を受けた高い音楽性で日本のみならず海外でも評価が高く、DJとしても世界各地で活動を行っている。2001年1月に3枚目のアルバム「 beautiful. 」を リリース。より高みに達した楽曲群と多彩なゲストで話題を呼ぶ。また同時に6ヶ月・36公演にわたるDJツアーを敢行中である。

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