2007年9月23日。お彼岸の墓参りで賑わう京都の街に、突如若者たちで賑わう一角があらわれました。


京都のインディーズシーンから、日本を代表するロックバンドへと成長したくるりが主催する音楽フェスティバル「京都音楽博覧会」です。


京都の街のど真ん中、梅小路公園を会場に、京都のインディーズアーティストから、海外の伝統音楽のアーティストと日本のメガヒットアーティストが共存する他に類を見ない音楽フェスティバルになりました。


「京都と音楽のための、博覧会」を標榜するこのフェスが、はたして京都の人にどう映ったのか。


京都音博に参加した、京都の様々なアートシーンで活躍する、あの人たちに聞きました。



京都音楽博覧会公式サイト




この3人が見にいきました…


ゆーきゃん(シンガーソングライター)

松田暢子(女優)

麻田弦(映像ディレクター)




ゆーきゃん

シンガーソングライター。2007年6月アルバム「 sang」をリリース。西部講堂で開催されるボロフェスタの主催者のひとり。



ゆーきゃんオフィシャルサイト

NOISE McCARTNY RECORDS

好天、でもまだ少し残暑が厳しいな、と思っていたら突然の雨。持ち直したところで今度はなかなかに強い雨。そ して雨上がりの夜空に京都タワー。不思議なフェスだった。天気もシチュエーションも、そしてラインナップも。

ゲートをくぐってすぐに流れてきた、ふちがみとふなとの歌とウッドベース。 京都のミュージシャンとして個人的にも尊敬する二人が奏でるたった二つの音を、1万人を超えるオーディエンス がゆっくりと聴き、体を揺らし、ときにハンドクラップで応じる。その様子が、我がことのようにうれしかった。

リアダンの初々しくも凛とした美しさを放つ音色が、大工哲弘の突然の雨にも負けぬ確かなソウルが、ジェイソン・フォークナーのグッドメロディー。この日ここで奏でられる音楽は、すべて共通して「ポップ・ミュージック」であった。お客さんのひとりひとりは 、それについてくどい説明をうけることもなく、文字どおり身体でもって感じていた。 Coccoが沖縄の米軍基地について語り、そのメッセージを込めた曲を歌ったとき、気付いたことは、こうだ。

自らのルーツを愛することと「ポップ」であることは、こんなにも、ひとつ。

それで僕はもうなぜか猛烈にうれしくなってしまって、降りしきる雨のなか、タラフ・ドゥ・ハイドゥークスではステージの 前方まで駆けてゆき、踊り狂った。

開会宣言で語っていた「京都と音楽のための博覧会をやりたい」ということばを達成するために、くるりは、たく さん「鏡」を持ってきたのだ。僕らはアイルランドの、八重山諸島の、ルーマニアの、素晴らしい鏡をのぞくこと で自分の姿に気付くことができた。

雨も上がり日も落ちて、満を持して登場したくるりの姿。 僕らよりもほんの少し深く「日本のポップミュージック」の姿を自問自答し続けてきた自信と、「音博」という名の 一つの解答をオーディエンスと分け合えた喜びとに溢れていたように思う。

享楽的な、「フェスのためのフェス」がたくさんある。 地域振興、町おこし的なイベントも多い。 社会的なメッセージを唱えようと唱えまいと、音楽は奏でられた時点から素晴らしいものだ。 でも、こんなにも自覚的に「音楽そのもの」のために、またアーティストが主導で「地域」のために開催されたイベントを、 僕はあまり知らない。ごみや騒音への配慮、家族連れで楽しむお客さんの姿、そして出演者が圧倒的に音楽を「楽しんで」いるステージ。 それらを思いだすたび、あのおかしな天気も、フェスの感動を味あわせるために神様が(余計な)気をきかせてく れた演出なのかもしれないな、と考えたりしている。





まつだのぶこ

女優。京都を拠点に活動する劇団「ヨーロッパ企画」所属。FM京都「Radio Scrap」ではDJも務める。



ヨーロッパ企画

Radio Scrap

居残りドリル(AFTERSCHOOL DRILL)
2時間ほど遅れて梅小路公園に向かい、さっきの雨で濡れネズミと化したライブ参加者を見て、遅刻してラッキーと思いながら、待ってくれている友達たちに合流した所、さっき雨降って大変だったよーと言うどの顔も笑顔で、むしろその時いなくて残念だったねーという調子なので、不思議に思いながら、丘に敷かれたビニールシートに座って、やわらかい声で歌うアメリカのお兄さんの歌を聴き、すぐに気持ち良くなる。なんか夏の音楽フェスって行くぞー!来たぞー!盛り上がるぞー!みたいな、参加するのに気概というかがっつきを必要とするような気がして、あと自由に楽しんでるんだけど、時としてそれは誰かには迷惑みたいな感じとか、がっつくことが超苦手な自分には荷が重いと思っていたけど、まだまだ夏の面影を残しつつも秋の風を感じる時期に開催された京都音楽博覧会は、がつがつしてないというか、みんな好きな所で、好きな風に音楽聴いてますという感じがし、しかもその自由は誰かに嫌な気持ちを抱かせるものではないというのも風通し良く、公園のとなりに展示してある蒸気機関車の、誰かが鳴らした汽笛の音が演奏中に気まぐれ参加したり、人がいっぱいでよく見えないんだけど、まあでも見えなかったことも覚えておこうと、全部の出来事と気持ちを大事にしようと、Coccoの歌と話す言葉を聴いていて思ったり、小田和正の時に雨がまた降り出し、団地のベランダで傘をさしながら小田和正を聴いている団地の住人たちに羨望の目を向けつつ、難民として難民同士仲良くなったり、ぐしょぐしょなのに気付けば自分も笑っていて、さっきの雨の時いなくて残念だったねーという言葉を理解し、ようやく止んだ雨の中ではじまったくるりのライブの、なんか湿り気のある、静かに充足した盛り上がりと、寒さで凍える私の肩に、友達が石田純一のようにかけてくれたバスタオルが死ぬほどあったかかったこととか、全部私にはちょうど良かったです。




あさだげん

映像ディレクター。キセル、bonobos、ANATAKIKOUなど50本近くのミュージックビデオを監督。VJ、執筆、映画プロデュースも手がける。

くるりのライブを最初に観たのは今から10年ほど前になる。最初が京都メトロであったか、大阪ベイサイドジェニーであったか、記憶が定かではないが、どちらもくるりが主催するイベントでのことで、そのイベントではたくさんの若い才能あふれるバンドがブッキングされていた。当時のくるりは、独特の言葉の選び方と卓越したメロディーセンスを既に兼ね備えている意味で今と地続きにあるが、その後、様々の音楽スタイルを貪欲に吸収し作品として発表した彼らはギターロックという形式に収まらないまったく異なるバンドに成長した。

そういう意味で今回のくるり主催の京都音楽博覧会はとても興味深かった。まず出演者の面々であるが、どのライブもとてもチャーミングで素敵であったが、音楽的バックグラウンドが異なり、統一性というものがなかった。USロックのジェイソン・フォークナーがいれば、琉球民謡の大工哲弘氏がいて、ジプシーミュージックのタラフ・ドゥ・ハイドゥークスもいるという具合で、これはおそらく岸田氏・佐藤氏の現在の幅広い興味が反映されたのではないかと推測されるが、そこがまず面白かった。彼らはその時々の興味を臆することなく自分達の中に取り入れていく。その姿勢がここでも強く感じられたし、これからのくるりの音楽がまた楽しみになった。実際ライブでも沖縄音楽を取り入れたアレンジなども見られた。

今回の京都音博、個人的には小田和正氏のキュートなステージがベストアクトであった。還暦を迎え、なお今も日本ポップスシーンの最前線にいる理由が垣間見られた気がした。

最後に。この京都音博は京都でやることに意義がある、ということが趣旨にあるが、京都音楽シーンにくるりを脅かす野心的な若い音楽家の出現を待ちたい。その時、また京都が一層おもしろくなる。と思う。

とにかく雨にも見舞われた今回の音博でしたが、楽しかったし、これからも続けてほしいです。来年もみんなで行こうぜ!



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